敬意の欠如

投稿者: | 2021-07-06

 「献身的に働く」ということと「誇りを保つ」ことは別だと思っている。私ができることなら何でもやって差し上げたいという気持ちと、何でもやらされ利用されているという感覚とは全く異なる。ん~、うまく説明できていない。でもそういうこと。私のプライドが高すぎる、或いは偏屈なだけなのだろうか。

 私はビデオを制作することを生業としている。格好つけて言えば、映像のプロだ。プロにもレベルはいろいろあるので表現は難しいが、少なくともビデオを作って人様からお金を頂いていると言う意味では、間違いなくプロになる。だから仕事が決まったら精一杯できる限りクオリティを上げる努力はするし、キチッと納期を守って納品するために動く。そして完了した暁には約束の料金を頂戴する。そういう営みをもう20年以上やっているわけで、誇りと責任を持って今も当たっている。
 そうした中で「ちょっと手伝ってくれない?」みたいなノリで、無料の奉仕を迫ってくる人たちがいる。「あなたなら簡単にできるでしょ!?」という感じ。激しい憤りを感じる。私はプライドが高すぎるのだろうか。仕事の内容が簡単かどうかに関わらず、映像に携わる事案で私は無料では動かない。見積書はいくらでも書く。企画書や絵コンテなども無料で用意して、今までどれだけの案がお蔵入りしたかは数えていない。そういう「仕事を発生させるための無料奉仕」は当たり前のようにやらせてもらうが、「誰でもできる仕事だから、できるでしょ」という具合の小間使いのようなことをやらされるのは我慢ができない。たとえお金をもらったとしてもやりたくない。誰でもできるなら自分でやればいいのに。

 一般的に写真も含めてカメラマンや映像に関係する人たちは“下”に見られる風潮がある。どこへ行っても「ああ~、撮影の人ね」という感じで見下される場合が多い。二度三度とお付き合いが続くと段々態度が変わってくるのだが。スーツを着ないからそう見られるのだろうか。良い服なんて着て、汚れないように気にしながらできる仕事では本来はない。お父さんが子供の運動会を撮影するのにちょっと毛が生えたくらいの仕事としか思っていないようだ。そういう感覚が一般的だから、私たち“プロ”にも「せっかく知り合いになれたのだから、ちょっとお願いできないかしら?大したことないでしょ!?」という感じで迫ってこられる。困ったもんだ。

 実際最近はホームビデオカメラで5万円も払えば随分性能がいいものが出回っていて、ちょっとセンスがある素人さんならキレイに撮影できるのも事実だ。晴天下でちゃんと三脚を使ってズームなどを使わず据え置きで撮れば、プロかどうか何て判別がつかない程キレイな画が撮れる。GoProなどの強烈な手ぶれ補正機能を搭載した小型カメラも非常に便利だし、編集にしてもYouTubeが人気のせいか、昨今では素人さんでも相当手の込んだものを作るようになっている。そういうことはとてもいいことだと思う。映像を好きな人は私は大好き。ただそういう事実が私たち“プロ”の存在を低いものにしているのも事実だと思う。
 そういった技術がある素人さんがいるのだから、素人さんは素人さんたちでやっていただきたい。プロのカメラマンの地位を人々に見直させることは、もはや不可能だと思う。そういういわゆるブルーカラーの人たちに対する差別は根深い。それならそれで私は一般の方たちから距離を置かせてもらいたい。私たちは舐められすぎだ。

 私は差別されていることに卑屈になっているだけなのだろうか……。

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