先日たまたま見ていたテレビ番組で、タレントの方がその方のある習慣について話をしていた。仕事に出かける時はいつもお連れ合いと15秒間ガバッとハグをして、その時にお互いを励まし合う声を掛け合うのだそうだ。毎日しているということだが、それをすると不思議ととても力が湧いてきて、言葉を正確には覚えていないが、とにかく良い感じ・気分になれるそうだ。夫婦仲もうまくいくらしい。何だかその話がとても気になって、お風呂に入りながらぼ~っと想像を巡らしていた。結論から言うと、とてもヒントになる話だと思った。そういうことが人々の間で足りていないと思う。それはコロナ禍だからということではなく、コロナ以前からもっとあっても良かったことなのではないかと思う。
スポーツのシーンで、勝利が決まった瞬間やホームランを打ったりゴールを決めたりしてチームメイトとたたえ合うような時にハグシーンはよく見られる。あるいは反対に、誰かが亡くなったり、悲しい事件・事故が発生したりした時にも、抱きしめて悲しむ人を慰めるシーンは印象的だ。他にも飲み会のお開きの時に「今日はありがとう」等と言って、別れ際に抱き合う人たちは珍しくない。性別に関係なく、感情が大きく振れた時に抱きしめる行為が自然と行われる。思うに、「抱き合う」という行為は互いの気持ちを伝え合う効果があるのではないか。嬉しい時は互いの嬉しさを高め合う効果が期待できるので、「喜びたい」という欲求をより増大できる。悲しい時は、例えば悲しみのどん底にあっても本当に心配してくれる人とハグすることでその人の優しさを感じ取ることができ、上手くいけば軽減に繋がるかもしれない。悲しい者同士のハグでもお互い孤独ではないことに気づくことができるかもしれない。優れたことばをいくつ並べても、ハグすることで伝えられる感情の深みには敵わないのかもしれない。
28か29歳くらいの時に、ファミリーレストランでコックをしていた。その時に先輩のおばさんでホントに尊敬するほど一生懸命に働く人がいた。すごく仕事ができて私も頼りにしていたのだが、精神的にちょっと不安定なところがある人だった。
ある時そのおばさんが何かの失敗をして、「あ~、もう私は失敗ばかりしてダメな人間だ!もう辞めさせてください!!」と叫びだし、営業中の調理場内でちょっとした騒ぎになったことがあった。忙しい中、完全に気が動転してしまっている彼女を見て私も慌てたが、一か八か何も言わずそのおばさんをガバッと抱きしめて差し上げた。そのまま少しの間だけ「大丈夫ですから」となだめながら落ちつく時間を作った。うまくいった。誰かの奥様であろうそのおばさんを抱きしめてしまうことは、道義的には問題がある行為かもしれないが、誰の目からも私の咄嗟のファインプレーだった。いくつになっても抱きしめられると、親の愛を思い出して安心するのかもしれない。
反対にそんなに感情が高まったシーンでなくとも気持ちを伝え合うと言う意味で、冒頭のタレントさんのように、最初にハグから始めてみるのはどうだろうか。家族でも恋人でも何でもない人同士が平時にハグすることは、特に日本では非常識の部類に入る行為かもしれない。反対意見も多そうだ。でも職場なりボランティアなりの何か気持ちを込めて大切なことをしようとする現場で、始める前に言葉だけではなく心を通い合わせて高め合うことができたら、それはとても幸せな空間・一日になるかなと想像した。
みんな抱かれて育ってきたはずだしね