チームプレー

投稿者: | 2021-07-18

 字が汚くてコンプレックスがある。それを払拭しようと通信教育でボールペン講座を受講した。半年間余り、私なりにしっかり練習した。お題もキチンと提出し、添削されて送り返されてきたものをまた反復して練習するようにもした。そしてテキストブックをすっかりやり終えて、次のステップなりに進めばもっとうまい字が書けるようになるのかもしれないが、当初の目標を完遂したので一区切りとした。三日坊主を自認する私が半年以上しっかり一つのことに打ち込めたことは、誇りに繋がる。「字がキレイになった」と胸を張って言えるほどには上達しなかったが、そんなに簡単ではないことは薄々感づいていた。しかし丁寧に書こうとする気持ちは根付いたようだし、事実ちょっとだけうまくもなったように思う。非常にいい経験だった。縁があればまたチャレンジしたい。

 飽きっぽい私の性格は確かにあって、何でも長続きしないパターンが多いのだが、続かない理由がもう一つあるのではないかと思う。「単独」で行うものは続かなかったかもしれない。一人で走る「ランニング」はそれでも何とか続けているが、2週間に一回10kmと言った感じで頻度はガクッと下がっている。「ギターの練習」は孤独な戦いの中、全く続かずすっかり諦め、ギターそのものを手放してしまった。今回も孤独な戦いであったボールペン講座から離れる決意をした。その他よくよく考えてみると、一人で頑張ろうと志していたことの多くは、いつの間にか興味を失っていったように思う。

 反対に今やっている水泳教室はインストラクターをはじめ生徒さんたちの仲間がいるので、そんなにめちゃくちゃ親しいわけではないけれども、何となく同志のような感じで励まされる。水泳への純粋な興味もあり、もう少し続けようかなと思える。
 ボランティア活動にしても、「他者の力になりたい」という方々はそれだけでとても尊敬できるし、皆さんが集まる空間がとても気持ちが良い。皆さんにおいていかれないように勉強して、しばらくは頑張って続けたいなと思う。
 今はコロナで中断してしまっているが、聖書研究会にも心から尊敬する人々が集まっている。一日も早く復活させ、できるだけ長く続けたい。

 結局私は一人では何もできないのかなと思う。最初の威勢だけは景気がいいが、自分との孤独な戦いには連戦連敗だ。思えば私は「野球」というチームプレーの中で育ってきた。そういうことが関連しているのだろうか。野球をしていて孤独だと感じたことは無いし、苦しい練習や悔しい敗戦も含めてやっぱり楽しかった。子供だったとしても、ああいったダイナミックな経験をしてしまうと、やはり部屋で一人でこちょこちょと努力を重ねる性質のものに、あまり魅力を感じられないのかもしれない。よっぽど好きなことでないと続かないのかも。
 もしそうだとしたら、これから何か新しい趣味なりを見つけよう始めようとする時のヒントが見つかったような気がする。その“やること”に一緒に取り組んでくれる仲間も合わせて見つけなければ。

 さて、この“孤独”なブログはいつまで続くかな……。

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