オリンピック中継を観ていて思ったのは、自分が最近ますます「せっかち」になってきたのかもしれないということ。私は本当にスポーツが好きで、オリンピックなんて言ったらどんな競技でも、明け方まで飽きずにダラダラと観ていられるタイプだった。大好きなサッカーや野球はもちろん、柔道や水泳、陸上などなど大体何でも楽しめるタイプだ。ところが今回、まぁ少し仕事が忙しいせいもあるのだが、一つの競技を長い時間観ていられなくなっている。飽きるというか何か時間がもったいないような、不毛感にも似た感覚に襲われる。さすがに男子サッカーだけはしっかり観させてもらっているが、あとはハイライトで充分かなという感じだ。
「大体どんな競技でも」と書いたが、実は苦手と言うか納得がいかない競技がある。人間の「採点」で勝ち負けが決まる競技だ。今回から柔道でも採用されたように「ビデオ判定システム」が様々な競技で取り入られるようになった。判定のために試合が中断されてしまう弊害があるなど賛否両論あると思うが、私は人間の判断ミスによる誤審をかなり避けられるこのやり方には賛成だ。何と言ってもフェアだと思う。審判によって判定が変わってしまうようでは、アスリートは何のために死力を尽くして準備するのか分からない。審判の方々にはシビアにフェアに裁いてもらいたいと思う。
さて、採点競技について。恐らく審判によって判定が変わる確率は高い。何よりもその競技に精通していない素人には、演技の優劣が非常に分かりにくい。体操、新体操、アーティスティックスイミング、フィギュアスケートなど、審判が変われば勝敗がひっくり返る場合さえあると考えられる。体操については、着地で足が止まったかどうか等まだ分かる部分があるが、それにしても0.1ポイントの差は私にはつけられない。本当にフェアに行われているのかさえ確かめられない。選手たちはそんな不安定な基準の中でよく勝負できるなと反対に感心する。機械に頼りすぎるのはまた別の問題を生じさせてしまうだろう。しかし今後どれだけAI技術が進んで、例えば体のしなやかさが表現する美しさや表情の豊かさ、あるいは演技の創造性なども含めて、誰もが納得できる判定基準を数値化するシステムができれば、それらの種目に挑む選手たちの環境に良い変化が訪れるのではないかと思う。応援にも熱が入るというものだ。
スポーツは勝敗だけが全てではないとは分かっているつもりだ。アスリートたちが一心に勝利を見つめる姿は美しい。今まで彼らからどれだけ力をもらい、学ばせてもらっているかは計りしれない。だからこそ彼らにフェアな環境を用意して差し上げて欲しい。オリンピックのような大きな舞台に立つ資格を得た選手であればなおのこと、誰かの主観的な判断に左右されずに勝負できる権利があると思う。選手たちの努力に報いられる環境を準備する努力を、ぜひ偉い人たちにはお願いしたい。AI審判だけが唯一の答えではないはずだ。
先入観は判断を鈍らせる