監督(その2)

投稿者: | 2021-08-15

 初めてお会いする対戦校の監督・コーチ陣にご挨拶し、本当の監督の不在を詫び、交流を深める。私にしてみれば新規のお客様のところに初営業をかける感じで、全く問題なく立ち回れる。仕事を売り込む必要がないので、営業よりはずっと楽な仕事だ。むしろ同じ野球人として、その道で本気で生きていらっしゃる方々と会話できることが嬉しかった。生徒たちとコミュニケーションを図る方が、私には断然難しい。

 生徒たちも私に対して不安だったことだろうと思う。「このおじさんで大丈夫かな?」てな感じではなかっただろうか。何せ私は野球のコーチさえ経験が皆無で、先生でも学校の正式な職員でもなく、ほとんど会うのも初めての単なる野球好きのおっさんでしかなかったのだから。生徒たちは本当の監督から言われて、仕方なく私の指示に従っているといった感じだったかもしれない。
 そういった状況的なことはあるが、何の因果か私を含めた選手、マネージャーが一つのチームとして組織され、対戦相手という共通の敵に相対するという状況が結束を生んだ。試合が始まってしまえば、高校生とは言え、それなりに野球経験を積んできた選手たちは、試合の中で自分の役割を全うしようと頑張っていた。最低限、試合ができる程度の基盤が出来上がっているチームを、ちょっと任されただけのことだったかもしれない。「監督がいないと何もできない」という状況ではなかった。しかし試合の中で作戦の指示を出すところまでは彼らはやってきていない。やはり監督の役割はそこに残っていて、私が代役として少し担っただけのことだった。

 試合には負けてしまった。接戦ではあったが負けは負け、悔しさは残った。この厳しい状況で、時間通りに怪我なくつつがなく、恥ずかしくない試合ができただけでも喜ばなければならなったが、負けた悔しさを簡単には拭い去れなかった。私はやっぱり野球が好きだ。相手校にとっても充分に練習になっただろう試合であったし、何よりうちの生徒たちが元気にプレーする環境を整えてあげられたことにホッとした。プレッシャーは少なからずあったが、私も楽しんでいた。

 生徒たちに対して、どういうキャラで接すればいいのか悩んでいた。“鬼”監督がいいのか、仏か、父親的なのか、兄貴的なのか、謎めいた方がいいのか等々。どうにでも演じることができたのだと思うが、結局生徒たちがあまりにかわいくなってしまい、素の自分で接することになっていった。
 練習を始めた初日からノックを重ねるにつれ、段々と感覚が戻っていくのが分かった。打てるようになっていくと、つまり力を込められるようになっていくと、手の皮がズルズルに剥けてしまう。夢中でノックしているとそれに気づかず、マネージャーから手渡してもらうボールに血がにじむようになっていった。彼女が心配して声をかけてくれて初めて気づく。帰宅して手のひらを消毒するときの激しい痛みは、ちょっと思い出したくない痛みだ。それから手袋をするようにしたが、それでも皮が剥けてしまうことは最後まで防げなかった。
 そういう私の頑張る姿に生徒たちが何かを感じたのか、ノックする打球の強さが増していくことに驚いたのか、みんなとの距離が日に日に短くなっていったように思う。

 (その3)へ続く

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