監督(その4)

投稿者: | 2021-08-17

 監督最後の日を迎え、何とか2試合目の練習試合まで漕ぎつけた。今度は当校に対戦校をお迎えしての練習ゲーム。選手の送迎の心配は要らないが、お客様をお迎えするにはそれなりに準備が必要だった。それまで付いてくれていた女性の部長先生が急遽ケガか何かして、当日は私一人で仕切ることになってしまった。正直弱ったが、悪い時には悪いことが重なるものだと開き直り、「自分の力が試されているんだ」とちょっとやせ我慢して頑張ることにした。

 まずは相手校の監督・コーチへの昼食の用意。たしかちらし寿司を事前に注文してもらって、交流を図りながら一緒に食べた。相手校の監督さんは私が現役の頃からその高校で監督をされている大ベテランで、私の中学の時の先輩を指導されていた。共通の人物の話に花が咲いた。
 試合用のグラウンド整備も大切だ。軽トラックの後ろに、整備用に作られた大きな“すのこ”のような整備板を取り付けて、マウンド以外のグラウンド上にそれを引きずった跡で流線形ができるように走り回りながら均す。当然外野に芝生なんかが敷いてあるはずもなく、全面土のグラウンドだ。久しぶりのマニュアル運転に最初少し戸惑ったが、エンストは起こさずに済んだ。「もっとギリギリまでベースに近寄って走ってください!」等と生徒に教えてもらいながら、なかなかコツが要るキレイな流線形の完成を目指して走る。
 その他みんなで役割分担しながら準備を進めた。普段は設置していない陸上用のハードルと古タイヤを、ホームランライン上に並べる。外野深部のセンター右からライト線際まで。そこをダイレクトで超えたらホームランで、ゴロでならエンタイトルツーベースという印だ。レフト側はホームベースから恐らく70~80mほどしかなく狭いが、うまい具合に土手になっている。
 マネージャーがスコアブックをつけられるように、遠い教室から机と椅子を両軍に運び入れる。防御ネットをベンチ前に並べ立て、強烈なファウルボールに備える。試合用のニューボールを卸し、ロジンバッグを準備する。保護者などの見学者用に、バックネット裏にパイプ椅子を並べる。バッターボックス他全てのラインを引き終えて、さぁ試合開始だ。

 この後私はそのまま6年間ほど、監督の下でコーチとして母校野球部のお手伝いをすることになる。「もしかしたら私は教師だったかな?」と真剣に思ったほど、素晴らしい時間を愛する母校の後輩たちと過ごさせてもらった。強豪チームではなかったけれど、野球を好きな生徒が集まっているわけで、みんなで同じ方向を向いている分だけ生徒との付き合い方は楽だったと思う。これがクラス担任となると話は別で、私が教師という職業に向いていたかどうかは確かめようがない。しかし本当に先生になったような気分を存分に味わせてもらった幸せな6年間だった。

 いろいろ問題はあった。私のことだから予想はできたのだが、野球に生徒にのめり込み過ぎ、他のことが疎かになってしまった部分があった。それが6年間で終焉を迎えてしまった原因の一つでもある。でも後悔のしようがない。この6年の間に起こった出来事についてはまたいつか書いてみたいと思う。
 無理だと思っても「やってみる」ことは、時に幸せをもたらしてくれる。あの電話で私がもし監督からの申し出を断っていれば、こんなに素晴らしい経験をすることはなかった。無理をする必要はない。無理をすれば、子供たちや他の誰かに迷惑をかけてしまうことにもなりかねない。そこは慎重であるべきだと思う。ただ一つ胸を張って言えることは、彼らと共に過ごした熱い日々が、今も眩しく私を支えてくれている。

 ああ、負けました。結局連敗でした。でももの凄くいい試合でしたよ~

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