Discrimination

投稿者: | 2021-08-19

 私は自分で人を差別する人間だと思う。「肌の色や性別、国籍、言語、職業、学歴、ジェンダー等々、一切の区別を超えて、誰もがどこでも平等に扱われる世界の実現を心底願っている」と思っている。思ってはいるが、他ならぬ私がこの差別社会を構成している一員になってしまっているという認識が確かにある。まずは自分の中の差別から対応していかなければ、薄っぺらなきれい事で終わってしまう。結論にはなっていないが今思うところを書くと、どうしても差別してしまう自分を認め受け入れ、ではどうするべきかを考え続けていくしかないかなと思っている。

 先日ある本を読んでいて、「かつて日本に原爆が投下されたが、対象国が日本ではなく例えば西欧のどこかの国であれば、投下されなかったのではないか」という文章に目が留まった。端折って説明すると「白人が白人へは原爆を落とさなかっただろう」ということだ。つまり白人の黄色人種に対する差別感覚が、同じ人間である筈の日本人へ向けて、あれほどの非人道的な行いを実行させたのではないかいう疑念が述べられていた。私はここで原爆投下の是非や戦争責任などについて語ろうとは思っていない。「アメリカが原爆を投下した」というこの一事実だけを切り取って、その理由の一つに「差別」があったのではないかという考え方に、悲しく同意していることだけを伝えたい。

 コロナウィルスがアジア圏から発生したということで、ニューヨークではアジア人の宗教施設が襲撃され、また街を歩いていただけでアジア人の女性が暴行を受けたというニュースが伝えられた。この後MLBのN.Yヤンキースに所属していた田中将大投手が、これが唯一の理由ではないだろうが、家族の安全を考慮し帰国する道を選んだ。
 昨日は大谷翔平選手が出場しているエンゼルスの試合をテレビ中継していた解説者が、英語を上手く話せない日本人を揶揄する発言をOA上でしてしまい、職務停止処分になったそうだ。
 ヨーロッパのサッカー界では黒人選手や移民選手に対する侮蔑発言が止まず、先日は大好きなFCバルセロナの選手のアジア人に対する侮辱した態度が問題になったばかりだ。

 モンゴル人の横綱しかいない大相撲に心から満足できない自分がいる。外国人が活躍するのはいい。私の友人のお連れ合いはモンゴル人だ。でも日本人も競い合うくらいまでは頑張ってくれないとやはり乗っ取られてしまったようで寂しい。これは私の差別感覚、もしくは選民主義的な感覚が如実に表れている部分だと思う。他にも日本語を一言も話せない日本代表選手に親近感を持てない問題もある。
 普段は意識上には現れないが、例えば「女のくせに~」とか「子供のくせに~」とか「素人のくせに~」など、瞬間的にイラッとしたりカッとなったりという感情はなかなか押し留めることが難しく、それは私の中の差別感情から湧いてくるものだと考えている。「あ~、また差別だ」と自分に失望する毎日だ。心の闇は深い。反省を重ね、少しずつでもそういう気持ちが湧いてくること自体を抑制できる人間になりたい。
 理解しづらい社会の問題を考えるとき、「お金」ともう一つこの「差別」という“カギ”を使って解きにかかると、案外簡単にナゾは解けるかもしれない。

 人間は、「差別する生きもの」だと思う

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