関わること

投稿者: | 2021-09-06

 私にとって「辞める時」は非常に難しい。苦手だ。勤めていた会社を退職するような時は、会社の方でちゃんと送別会なりを開いて送り出してくれるので、自分で何かをする必要はなく、誰かに任せっきりでだいたい済んでしまう。アルバイトとか派遣のような、正式ではないと言うか、会社の方で面倒をみてもらえないような立場で働いていた場合に、私は去り方が非常に下手くそだ。うまくお別れできない。簡単に言うと、ある日突然消えてしまうやり方で去る。今考えれば、非常に良くなかったと思う。皆さんにお世話になっておきながら、お礼の一つも言わずにいなくなってしまうことは極めて無礼だった。私はそういうところがある。ちゃんと人としっかり関われていない証拠だと思う。

 「どうせ、自分のことなんて誰も気にしないだろう」といった具合で、ナイーブというか、センチメンタルというか、自分の事しか考えていないと言うか、そうやって突然姿を消すことで自分の「不在」、あるいは「存在」の大きさをより印象づけようとする嫌いがある。一緒に働いた仲間に「いなくなって残念だと思って欲しい」という独りよがりの自己愛がみじめに露呈する。意識上ではそんな風に思ってはいないつもりだが、私の中の無意識の世界にはそういう汚くて嫌らしい魂胆が居座っていることを私は知っている。闇は深い。

 反対の立場になってみれば明白なことだ。昨日まで一緒に汗水垂らして働いていた仲間が、まさに“蒸発”してしまっては、むしろバカにされた気が、或いは裏切られた気がしないだろうか。「いなくなって寂しい」なんて思ってくれやしない。いつか思い出してくれる日が来るとしても、その前に「何で?」という不信感に近いマイナスな感情が湧いてくるのではないだろうか。私への印象も変わってしまうかもしれない。それが自然の反応だと思う。
 そういう第三者的な視点が私には欠如している。自分がしようとすることを、それをやったらどうなるかということを、感情に流され過ぎて冷静に考慮できない。またどうするべきかという規律が備わっていなかった。そこまで大げさじゃなくても、ちょっと考えればすぐ分かりそうなことに配慮できなかった。まぁ、非常に私らしい愚かさではある。

 どこかでカッコつけてしまう。自分で本当に良くない部分だと思う。人と深く関わろうとしない。とことんつきあって交わってみればいいのに、どこかで恐れている。自分の中に他者が入り込んでくることを恐れている。だからその前に突っぱねてしまう。自分がそうだから相手もきっと嫌だろうと考え、そうすると、なるほどそりゃあ踏み込めない。
 本当はもっと関わりたいと、心の奥では思っていると思う。失敗が恐いのか、はね付けられるのが恐いのか、自分が傷つくことが恐いのか、まだ踏み込めていない。でもこれからは逃げずに少しずつやっていこうかなと思う。多分それが私が「やるべきこと」で、「やれること」で、また「やりたいこと」だと思う。要は勇気と決断の問題かなと思う。走り出したら最後、もう“蒸発”は絶対にできないから。

 「あの人は昨日で辞めました」みたいなことで、我ながらひでぇな~

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください