受け身

投稿者: | 2021-10-06

 先日聞いた話。アメリカでは幼児の頃から自分の意見を発言することが求められるらしい。幼稚園などでは、好きなものがあったら、何故それが好きなのかという理由を3つ挙げるように言われる。そしてそれが特別なことではなく、どこでも行われている普通のやり取りだそうだ。そういう癖が小さなころから身に付いているから、「一般的にアメリカ人は自己主張が強いと言われる」という説。まぁ納得できる考え方だと思うが、日本人と比べることでその傾向は一層顕著に表れるのだろうと思う。

 合気道をかつて習っていた。言わずと知れた日本発祥の武道の一つ。元々は武士の時代に城で留守を守る女性陣が、万が一敵に攻め入られた時にも対抗できるようにと、小さな力で屈強な男どもを倒す秘技として考案された技術だ。
 他の武道でも似ている部分があると思うが、合気道ではとにかくまず「受け身」から教わる。ひたすら先輩から投げられ続ける。他の道場に通ったことがないので確実なことは言えないが、私の道場ではそうだった。受け方が上手くなってくると「こいつは強く投げても大丈夫だ」等と思うのか人気が出てきて、益々色んな人から声がかかるようになる。投げられて投げられて、しかしそうするうちに段々うまい先輩とそうでない人の差が分かってくる。ある程度まで慣れないと師匠は触ってもくれないのだが、初めて強く投げてもらった時の感動は忘れられない。そういう経験を重ねて、反対にどうしたらうまく投げられるかを体が覚えていく。受けた分だけ攻め方にも深みが出てくるということだと思う。

 英語を勉強するには、「とにかくまず聴きなさい」と言われた。中学に入って初めて本格的に英語を学び始めた時に、NHKラジオの「基礎英語」という番組を聴く習慣をつけなさいと、まず指導されたことを覚えている。「聴く」という受け身の学び方の推奨を受けたわけだ。実際に大人になってからカナダで生活した時にもそのことが頭に残っていて、うまく話せなくて非常に落ち込んでいた時も「聴く」ことに活路を見つけ出そうと、一人の時はテレビを観てひたすら聴くことに集中していたと思う。そうしていくうちに、いつの間にか少しずつ口が動くようになっていった感覚を覚えている。そんな矢先に帰国してしまい、もうあと半年長く居られれば、飛躍的に上達したのではないかと20年以上経った今でも残念な気持ちだ。

 グローバルな人材の育成が日本で叫ばれて久しい。実際に世界に通用する国際人が育つ等の成果は上がっているのだろうか。故 緒方貞子さん以来、そういう人は現れていないようにも思う。「世界に通用する国際人」と自分で書いておきながら、私はその意味が分かっていないように思う。受け身な姿勢が身に付いている私はダメなのだろうか。自分の意見を自由に大いに主張できるアメリカ人が素晴らしいのだろうか。アメリカや日本だけのことに限った話にしたい訳ではなく、世界中の人々にとっての課題であると思う。
 私たちの住むこの世界はそんな単純に割り切れるようにはできていないように思う。自分が何を望み、どう考える者なのかをしっかりと見つめ、同じように相手を理解しようと努めることが大切なのではないか。その作業を飛ばしてしまうと、互いに分かり合えることは難しい。

 真の平和を目指したい

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