2年ほど前に高校の時の英語の先生が亡くなった。彼女は加齢による老衰で召されたそうだ。私はその当時、クラスの女の子に宿題を代わりにやってもらって、そのまま提出してしまうようなズルい生徒だった。その先生はそういう私を知りつつ問い詰めながらも、とてもかわいがってくれた。英語は好きだったし、まぁまぁそれなりに成績が良かったせいもあるのかもしれないが、他の生徒が羨むような“待遇”をしてもらった。どうしてそんなに良くしてくれたのかと考えると、謎ではある。しかしその時もうすでに“おばあちゃん”と呼べる年齢だった先生を私は大好きだった。
先生が亡くなる数年前に、たまたまお会いする機会に恵まれた。30年ぶりくらいの再会だった。さすがにもう足元がおぼつかないほどに歳を取っていらっしゃったが、お元気そうには見えた。しかし何と先生は私のことを全く覚えていらっしゃらなかった。正直びっくりした。今はスキンヘッドにしている私に見覚えがないのは分かる。けれども名前を言っても、いつの卒業生かを伝えても全く記憶に残っていなかった。とてつもなく寂しかった。あんなに仲の良かった先生が私を覚えていない?仲が良かったと思っていたのは私だけだったのか。それはあり得る。しかし……。底抜けに悲しかった。後になって聞いた話では先生はその時すでに認知症を患っていらっしゃったそうだ。
15,6年程前に父方の祖母が亡くなった。私は根っからのおばあちゃん子でとてもかわいがってもらった。一緒に住んでいた。2歳ずつ差で妹と弟がいたせいだと思うが、母にはあまりかまってもらえず、祖母にベッタリだった。中学や高校に行くように大きくなってからも、何もすることがないと祖母のところに行って、特に何をするでもないのだが一緒にいるのが日常だった。お腹が空いたら何かを作ってくれる等、今思い出せないが、とにかく私のために何でもやってくれて、とてもお世話になった。カナダに渡った時は経済的にも援助してもらい、祖母がいなければ私は本当にカナダで飢え死にしていたと思う。だから祖母でありながら、命の恩人でもあると思っている。
体中にガン細胞が転移してしまい、もう手術ができる状態でない祖母を見舞いに病院を訪れたある日、ひどく愕然とした。祖母は私が誰だか分からなくなっていた。どうも私を私の父、つまり自分の子供と間違えているようだったが、それも定かではない。話し方も非常にぶっきらぼうな喋り方に変異していて、悪い霊に憑りつかれてしまったのではないかと思ったくらい、粗暴な物言いだった。「おばあちゃんがオレを覚えていない!?そんな馬鹿な!」。悲しくて悲しくて泣き叫びたかった。この時ようやく、どこか他人事だった祖母の死を、間違いなく近々に訪れる現実のものとして捉えることになった。
あんなに愛していた人たちが私の存在を忘れてしまったという事実はせつなく苦しい経験だ。あまりにも強い悲しみの中で、どう対応したらいいのか分からなくなってしまう。実際その後あまり会いたくなくなってしまった。会ったらまた寂しい気持ちに押しつぶされそうになる。思いが強いほど、苦しかった。認知症が嫌いだ。
幽霊でもいいから、あの日のおばあちゃんに会いたい。