この歳になっても、骨のある焼魚が苦手だ。骨を取るのが面倒くさい。歳を取ってきて魚のおいしさには気づいてきている。カルシウムとか難しいことはよく分からないが、魚は健康にも良いと聞く。昔は肉を食べる習慣自体がなかったわけだから、お侍さんやお百姓さんは、主力のエネルギー源を魚に依存していただろうわけで、そりゃぁ栄養はたっぷり含んでいるのだろう。味も本当に美味しく感じられるようになった。ただ如何せん「骨」だけはイライラする。せっかく美味しいのにイライラのせいで喜びが半減してしまうことが多々ある。突然飛躍的に箸さばきが向上することは期待できないだろうから、何か良い方法はないだろうか。
食事中に手が汚れるのが私は嫌いだ。ちょっと神経質すぎるのかもしれない。お茶碗やお椀の裏側や下部が汚れていて、持った時に手が汚れるのが凄く嫌だ。家庭の食卓でいちいちおしぼりは用意しないので、手が汚れた時はティッシュペーパーで拭き取ろうとするのだが、結局ほのかに残る違和感を我慢できず手を洗いに席を立ってしまう。みかんやぶどう等の果物を食べた後も同じ。手に付いただろう汚れを、「果汁感」とでも名付けようか、ティッシュで拭いただけのそのままにはしておけない。
大好きな鶏のモモ肉のから揚げをいただく時は、もう決死の覚悟だ。油で手がギトギトになりながら、嫌だけれどもう仕方がない、諦めてむんずと掴んでかぶりつく。あそこまで行けばもう割り切ることができ、食べおわったら堂々と手を洗いに席を立てばいい。でも私にとっては“一騒ぎ”には違いない。
考えてみると、焼き魚も割り切ってしまって、手を使って骨を取り除いてしまえばいいのかもしれない。手を洗いに中座することを予定して食べ始めるか、もしくは魚の時だけおしぼりを用意して挑むか。箸を上手に使ってキレイに食べようとするから、カッコつけようとするからダメなのかもしれない。それでイライラしているようなら、そっちの方がカッコ悪い。食べるにしても品性を持っていただきたいと思うが、せっかくの食事をおいしく頂くことの方が優先順位が高いように思う。
そうか、焼き魚に関しては、「手が汚れることに対しての嫌悪感」と「品を保てないプライドの問題」がダブルパンチで襲ってきていて、だからイライラしていたのかもしれない。なるほど~、少し考えを巡らせてみないと、自分の心の事であってもなかなか本心には気付けないものだ。書くことは本当に勉強になる。
自分では潔癖症という感覚はない。電車の吊り輪も何の躊躇もなく握れるし、公衆トイレの便座も座り放題だ。コロナのせいということも当たらない。ただ食卓や食器を含めた食事回りが汚れていると気になる。調理はしないが、食事の前にテーブルをキレイに拭き上げるのは私の役目だ。鍋やプライパンの底の汚れが調理面以上に気になることもある。シンクの汚れとかも。潔癖症ではないにしても、どうやら何かの“癖”は患っているかもしれない。
若い頃は、潔癖症っぽいところなんて、全然なかったと思うんだけどな~