臭い記憶

投稿者: | 2021-11-15

 多分3才とか4才とかの幼かった頃の記憶なので、本当にあったことだったかは定かではないのだが、胡坐をかいて煙草を吸っているおじいちゃんの膝の上で抱かれていた時、上から煙草の灰が落ちてきて、私の目を直撃した。定かではないのだが50年後もこれだけ印象に残っているということは、“あった”んだと思っている。熱かったとか痛かったという感じではなく、いきなり目の中に異物が入ってきてびっくりしたというイメージ・記憶。今考えるととても危険なことで、おじいちゃんは一体何を考えていたんだろうと思うが、まぁ大事に至らなくて良かったというところだ。

 随分若い頃からタバコを吸っていた。「3年B組金八先生」というテレビ番組が始まって2年目くらいの時期で、「校内暴力」という言葉が盛んに使われた時代だった。あの頃はいわゆる「ツッパリ」が流行りで、自分を“悪く”見せることにみんなが躍起になっていた。今で言うと「ヤンキー」という言葉になるんだろうか、ヤンキーはモテるし、一つのファッションだったかと思う。タバコはその象徴的なアイテムの一つで、「え!お前も吸ってるの?」とびっくりするような真面目な子でも、普通に吸っているようなご時世だった。
 私は実家が喫茶店をしていたので、お客さんへの販売用に常時備えていて、そこから“くすねて”吸っていた。父は気づいていたとは思う。その頃は野球を一生懸命していたせいか、体力はあった方だ。ついでにたくさん吸える体力も鍛えられたようで、たくさん吸った。歯の裏にヤニが付いていたのを同級生の女の子に見つかって、「タバコ吸ってるでしょ?」と突然詰問されて慌てたことをよく覚えている。

 大人になって、ついつい吸い過ぎてしまうと、吐き気を催したり目まいがしたりと、良いことなんて一つもないのに止められない。本当に止めたいのに止められなかった。お酒の席で酔っぱらって寝ぼけてしまい、箸で挟んで丁寧にシケモクを口に運び入れてしまったことは忘れられない。人生最悪の体験の一つだ。
 カナダに渡って極貧生活をしていた時に、経済的に「食かタバコか」という選択を迫られ、当然「食」を選び、結果禁煙に成功した。日本的に考えると、カナダのタバコ税は25年前当時ですでに異常なほど高かった。ところが帰国して好きになった女性の「タバコを吸っている姿ってカッコいい」というセリフに“騙され”、あっさりとまた吸い始めてしまう。後から気づいたことだが、彼女は決して“私”の喫煙姿が好きだったわけではなかったのだが。

 タバコを止めて13年以上経つ。時代は変わり、今ではタバコを吸う人は邪魔者扱い。オフィスでもレストランでも、室内で自由に吸えるところはもうほとんどないのではないか。先日ラーメン屋に入ったら、隣でタバコを吸い始めた人がいたので席を立った。倫理観とか品性とかいう前に、あの強烈な臭いと空気に晒された中で、何かを食べることはもうできない。あの店にもう二度と行くことはない。
 そんなことがあると、今までどれだけ禁煙者の方々に“臭い”思いをさせてきてしまったのだろうと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。本当に止めてよかった。心の底から思う。温暖化防止にもきっと繋がるだろうし。

 おじいちゃん、慌てただろうな。

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