私は自分が思いついた説を正しいと信じ込んで、押し通そうとしてしまうところがある。検証が難しい、或いは検証しようがない仮説が多いので、聞いたり読んだりする人たちは、「ああ~、そういうこともあるかもね」くらいが精いっぱいの譲歩というか、感想かと思う。要は独り善がりの考えを無理やりに相対化しようとする傾向があるということ。論理に無理があることが多いということ。でもまぁ、その辺の良い悪いの判断は受け手に任せて、私は考え続けて伝え続けるしかない、伝えたいという立場だ。
今年のアメリカのプロ野球で、エンジェルスに所属する大谷翔平選手がアメリカン・リーグのMVPに選ばれた。ご存じの方も多いと思うが、大谷選手は今までのメジャー・リーグにおけるタブーを覆し、「投げて打って走って」に代表される野球に関する全てのプレー分野で目覚ましい活躍が高く評価され、今回の受賞・快挙となった。自分自身に限界を設けないこと、どんな批判を受けようとも信念を貫くこと、そしてどこまでも努力すること。大谷選手のプレーは彼の生き様を表しているかのようだった。それがしっかり結果に結びついた一年であり、まさにアメージングでクレージーな一年だったと思う。月並みだが、「まだまだ日本人も捨てたもんじゃない」と思わせてくれた。興奮の一年に心から感謝したい。
レオナルド・ダ・ヴィンチというイタリアの芸術家がいた。画家として世界的に有名な方だと思うが、彼は絵画だけではなく、建築や地政学、天文学等々、“あらゆる”と言っていいほど限りなく多くの専門分野で活躍した方だそうだ。彼が生きていた時代にそういった業績がすでに評価されていたのかは分からないが、死後500年経った今でもこうして私たちが名前を知っているくらい尊敬を集めていることは、偉業以外の何ものでもない。間違いなく「世界の偉人」の一人に数えられる方だと思う。レオナルドさんも恐らく自分に限界を設けず色々頑張った方なのであろう。
先日の新聞記事で、大谷選手がこのレオナルド・ダ・ヴィンチさんと並び称されていた。私は正直、「マジか!?」と思った。私は大谷選手の大ファンであるし、現在全米を衝撃的に席巻している大谷選手ではあるけれども、いくらなんでもそれは褒め過ぎじゃないかと突っ込んだ。確かに両者ともに自分の可能性に蓋をせず、夢の赴くままに尋常ではない努力を重ねた人たちだとは思う。業績もグレートだ。しかし大谷選手の実績はほぼまだこの一年のみ。いかにミラクルな一年だったとしても、天下のダ・ ヴィンチ 様と比べるのは時期尚早に思えた。
この記事を読んだ時の違和感は、私の記事を読んでくださった方が持つ違和感と近いものがあるのかなと気づかされた。書いた本人は「真実を見つけた」と思い込んでノリノリで書いているのかもしれないが、興奮状態の時こそ気を付けた方がいい。真理がそこにあるとは限らない。まぁ私の場合は新聞ではないので、好きなことを書いて怒られることはないのだが。感受性は高く持っていいし、むしろ持つべきだ。しかし読んでもらいたいと思うならば、やはり書くときに独り善がりは良くないと思う。
恐らく大谷選手がこれからどんなに凄い業績を残したとしても、ダ・ ヴィンチ 様と比較することには違和感を覚えることだろう。でももしかしたらそれは私が私の想像力に蓋をしてしまっている証拠なのかもしれない。
かつて王貞治選手は13年連続ホームラン王を獲得し、14年目に田淵幸一選手にタイトルを奪われるのだが、またその翌年から2年続けて奪還している。とんでもない闘志だと思う。13年とは言わないが、大谷選手がこのスーパーな活躍を何年か続けてくれたら、ちょっと考え直すかもしれない。いやぁ~?
思い込んじゃうと、分からなくなっちゃうんだよね~……。