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投稿者: | 2021-12-30

 最近はあまり本を読めていない。私は本を読むのが遅いので、それなりにまとまった時間が必要なわけだが、ちょっと忙しかったせいもあって時間が取れなかった。一日5分ずつでもいいから読めばいいのだが、正直5分ではいくらも読めない。前回までに読んだところがどういう展開だったかを思い出すために少し遡ってから読み始めると、5分ではせいぜいその本来の再開点にまで戻ってくるのが精いっぱいだ。これを続けているといつまで経っても先に進まない。まぁこれも言い訳なのだが。

 どうしても本に対してのコンプレックスと言うのか、「苦手意識」が拭い去れない。1年数カ月前に3か月間の速読コースを受講して以来、随分と読むようにはなったのだが、時間がある時でも少し疲れ気味であると映画やドラマの方に逃げ込んでしまう。何もしなくても映像は勝手に流れて行ってくれるので、やっぱり楽なのだ。「勉強したい」という気持ちよりも「ゆっくりしたい」方が勝ってしまう。でもそれがその時々で私の身体が欲していることなんだと思う。疲れていたり弱っていたりするとSOSが発せられる。SOSなのか「怠け」なのかはちゃんと見てあげないとダメだが、でも休みの日であれば少し手綱を緩めてもいいかなと思っている。リフレッシュできないと休み明けがキツくなってしまう。だが休みでもやりたかったことはやり切りたいし、このバランスは難しい。

 来年の目標として「速読」にもう一度チャレンジしてみたい。最後のチャンスと思ってダメもとで。またちょっと夢みたいなことを妄想しているキライがあるが、読みたい本を今までの仮に半分の時間で読めたらと思うと、諦めきれない。実際に読むスピードが速い人っているので、「オレだってできないことはないだろう」という期待が根底にある。コツの習得なのか訓練なのか分からないが、最後の小さめの夢にもう一度賭けてみたい。

 字が汚くて嫌だったので、通信でペン字講座を受講した。半年間やり終えて、メモなどを取るために速記するとせっかく練習した成果がほとんど発揮されないが、老眼鏡をしっかりかけてゆっくり丁寧に書こうとしたときは、見違えるほどにキレイな字が書けるようになった。他人が見ればまだまだ汚いかもしれない。でも個人的には満足感がある。
 思うだけなら誰にでもできる。実際に始めることはそれなりの勇気と覚悟が必要だ。そして継続できればきっと何かが身体に宿ってくれる。何かを習得しようとすれば一朝一夕には手に入らないことは明白で、だから新しいことをすることはある程度の困難をいつも伴う。広告でよく目にする「申し込むだけで」とか「あなたでも簡単に」等と言う“口説き”文句は嘘だと思っていい。要は試練が待っていることを承知でチャレンジするくらい、自分がやりたいことかどうかだと思う。
 その技能を習得できた後に、もしかしたら資格取得等の経済的な効果を生むことがあるかもしれない。そこへの期待が継続できる一つのモチベーションに繋がって成功することもあると思う。それはそれで幸運なことで良いことだと思うが、私としてはまず「稼ぐ」ありきではなく、純粋に「思うがままに」という願いの部分に努力できたらなと思う。後は御心のままに任せればいい。

 速読、やるよ!

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