基礎力

投稿者: | 2020-12-17

 左肩の肩甲骨の内側に通っている神経が痺れて痛い。左の肘付近まで痺れが繋がっている。特に顎を上げる動作や首の運動で頭を右へ倒すとその辺りに激痛が走る。春先から痛かったのだが、筋力が上がってくれば自然と感じなくなるものだと決め込んでいた。そのくらいコロナで春は体を動かすことができなかった。ところがランニングを始めてある程度タイムが出るようになるところまで仕上げても一向に治まる気配はなく、スイミングを始めても反対に痛み方は激しくなっていく。身体が温まってくると痛みが引く傾向があるが完全にはなくならない。歳のせいなのだろうか。

 整骨院の先生曰く、首に問題があるそうだ。確かに首もかなり凝っている感じがする。そしてなぜ首がおかしくなったかと言えば「姿勢の悪さ」が原因だろうということだった。心当たりがあり過ぎて絶句してしまった。ほとんど一日中モニターの前で仕事をしているので、集中すればするほど前のめりに猫背気味な体勢を取ってしまっている。先生に言われてから、気づいたときは慌てて胸を張って矯正してみるものの慌てている時点でもう遅い。モニターを台の上に乗せて目線を常に高くすると効果があるそうだ。長い間慣れてきた状況を変えるのは少し恐い気もしているが、でもあまりに痛いのでやってみようとは思う。

 カナダにいたときに英語の授業で先生から「何でも手に入るなら何が欲しいか」という質問をみんなが出された。「フェラーリが欲しい」「家が欲しい」「英語が話せるようになりたい」等々……。私が欲しいと言ったのは「健康」。カナダ人の先生は興味深そうに理由を聞き返してきた。「健康であれば何でも手に入れられるチャンスがあるから」、そう応えたのは26か7歳のすこぶる健康な時で、五十肩や通風などで悩むよりも随分前の話だ。
 カナダ時代はなかなか仕事をする機会に恵まれず、空いている時間を英語の勉強と合気道のレッスンにつぎ込んでいた。半ば不法滞在者のような状態であったので病気やケガをしたときの保険料など、もしもの時の備えをまるでしていなかった。もし骨折などをしても保険に入っていないから多額の治療費を請求され、払うすべがなく払えず……などと考えると恐ろしかったので、何も考えず毎日のように激しく投げ飛ばされていた。恐い物知らずとはアホのことを指す。「健康」と答えたのは「ケガをしたくない」とアホなりに心の中で懸念していたからかもしれない。

 身体が資本。全くその通りだと思う。ランニングやスイミングをして体をもう一度作り直し、無意識のうちに自分で健康状態を安定させようとしているように感じる。速読やボールペン講座などにしろ、一見バラバラなことに突然広く興味を抱き始めたように見える。けれども体力や記憶力が落ちてきたこの歳だからこそ「さらに飛躍を目指すならばもう一度、基礎の部分を鍛え整えることが必要なんだよ」と誰かに言われているというか、自分が感じて動き始めたんじゃないかと思う。考えてみるとアホな頃から“これから”と言うときは身体を鍛える癖が抜けていないようだ。

 無意識のうちに心の赴くままに何かを始めてしまっている。今年はそんなことばかりだった。

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