ビデオ制作をはじめ、宣伝やデザインみたいなことをやっていて、お客様と長い付き合いになればなるほど、悲しいかなマンネリになってしまう。底知れない数の引き出しを持っていれば良いのかもしれないが、残念ながら私の場合、アイデアやひらめきは枯渇していく。長くお付き合いをしているからこそ、またお役に立ちたいと思うのだが、初めは新鮮だった刺激がいつしか当たり前になり、段々と飽きられてしまうのが現実だ。同じことを繰り返していては新しい契約は結べない。本当に水商売だと思う。
当たり前だった何かが無くなったときに、その有り難さに気づくことがあると思う。健康がそうであり、不慮の事故や災害、身近な人の死など、日常の生活を構成する要素が失われると、「こんなに依存していたのか」と改めて認識する。しかし分かってはいても、日常への感謝の気持ちが高まるのは失ったときだけ。喉元を過ぎれば忘れてしまう。特に若いうちは「何か面白いこと無いかな~!?」などと、平穏な日常に不満を抱え、故意に壊してみたい衝動に駆られたりもする。何と横暴な存在だろうか、我が身を振り返れば。
非日常的な毎日を夢見ていたのだと思う。毎日ハラハラドキドキのスリル満点で、映画の主人公のような人生。堅実な生活設計を考えるには、あまりにも恵まれすぎていた。何と贅沢な愚かさだろう。
本当に最近だ。やっと最近、極めて危険な綱渡りをしていたことを自覚してきた。大切なものを疎かにしていたことに気づいてきた。とても罪作りな人生を歩んできてしまったが、しかしどうしても後悔できない。やっと『ここ』までたどり着いたという気持ちが強い。ひどく遠回りをしてしまったが、避けて通れない道だったように思う。
何もかもがダメだったとは思っていない。悔い改めるべきことは多いけれども、人、技術、知識、知恵など、出会えたものも確かにある。これから勉強したい意欲も満々としている。今後も同じ業界で生きていくのなら、相変わらず「安定」は難しいのかもしれない。それでも「人の役に立てる」仕事ではあるし、うまくいった時の達成感はそれこそドラマチックだ。まぁ、もっと違う立ち振る舞い方があるだろうし、まだまだ可能性は潜んでいると思う。そして「この業界の中で」とか、何かに執着するつもりはもうない。自分を縛らず、日々誠実に生きる結果、何に繋がっていこうとも、いや、むしろ何に繋がっていくか楽しみでもある。
反省から学ぶ意味でも、日々の心持ちを感謝に基づいたものにして生きていきたい。その結果、環境が自然と変わっていくのかもしれない。そうなのであれば、心と向かいながら、疑いながら、最後は勇気と共に委ねたいと思う。いずれにしても日々を豊かに過ごしたい。それが毎日できたなら、未来はそんなに恐くはないはずだ。
何歳からでも始められる。