「スタートレック」というアメリカのSF人気TVドラマシリーズがある。初回の放送開始が1966年ということだから私が生まれる前に始まって、中断していた時期もあるが、時代設定や登場人物を変化させながら、今なお続いているモンスターシリーズだ。13本もの映画にもなっているし、そう考えると“凄い”を通り越して、敬意を抱くような偉業だと思う。最新作の映画制作も決まっていて、2023年公開予定とのこと。大ファンの私はテレビの方は全てとはいかないが相当観ているし、映画は13本全部観ている。次回作も間違いなく映画館で観るだろう。心待ちにしている。
恐らく私の「宇宙もの好き」はスタートレックの影響によるところが大きい。小さい頃、私の住む町では、スタートレックはレギュラー番組ではなく、たしか夏休みにだけ放送されていた特別番組だったと思う。朝早くに起きて、毎日のように夢中になって観ていた記憶がある。
スターシップ「エンタープライズ」を取り仕切る主役のカーク艦長を中心に、バルカン星人で耳の尖ったMr.スポックや医師のDr.マッコイ、操縦士のMr.加藤、通信士のウフーラたちが、クリンゴン星人をはじめとする凶暴な異星人たちを敵に回し、大宇宙を舞台に繰り広げる冒険物語は、私を虜にするには充分すぎるスペクタクルがあった。
後に続いた二世代目の「新スタートレック」は、より洗練された映像技術と予測不能なストーリー展開で、初代を凌ぐ人気を博した。特に宿敵クリンゴン星人と人工アンドロイドの味方隊員としての起用は英断だったと思う。再放送だったが、私はカナダ時代、この新スタートレックを毎日観ていた気がする。まさにハマっていた。
初代のカーク艦長と二代目のピカード艦長が、最初で最後に共演した、映画「スタートレック ジェネレーションズ」は、ちょうど私がカナダにいるときにプレミア公開された。あまりに高い人気で、深夜1時か2時ころ上映開始の回しか、映画館のチケットが買えなかった。そんな夜遅くにもかかわらず、トロントの街は異様に活気づき、映画館の周りは異星人など、スタートレックの登場人物に仮装した“トレッキー(Trekkie)”たちが長蛇の列を作っていた。世界中で愛されているシリーズなんだと実感した。
このスタートレックで、時代は未来の設定になる訳だが、「お金」が社会に存在しないことになっている。そのことに気づいたのは、もう20代に入ってからだったと思う。少なからず考えさせられた。もしお金という価値が、価値観が人々の中から消失したら、と考えると、何だか根本的にやり直さなければならないような感覚に陥った。何をやり直すかは把握できない。しかしゼロに戻されるような、存在を揺るがされるような不安感と、少し後におぼろげな期待感に包まれた。スタートレックの中で登場人物たちは、お金ではなく、名誉や生き甲斐や任務や正義のために、命をかけて働いている。何となくそれがショックだった。
この物語の作者はきっとそういう世界を夢見て書いているのだろうと思う。そしてこのシリーズが世界中で人気があることは、そういう理想世界が広く共感を呼んでいることの一つの証明なんだと理解する。お金に苦しみ、その束縛から逃れたいと思っている人は多いと思う。少なくとも私は、あのとき感じた不安感・期待感から、自分がお金というものに縛られている存在・人間だと確認できた。
多くの人に読まれたり、観られたりする、いわゆるヒット作には何かしらのヒットする秘密が編み込まれていると思う。読んだとき観たときに、「いいな!」と好きになって、それからどうしていいと思ったのか考えてみるのは楽しい作業だ。「嫌いだな」と思って、理由を考えるのは辛いこともあるけれど、より深い経験になるかもしれない。それらの作業は、追体験することにもなり得るし、そうなると自分を映し出す鏡の効果もしてくれる場合がある。
私はそれを一つの勉強だと捉える。娯楽と言えば娯楽。無駄と言えば無駄。不要不急の代物と言われればそうかもしれない。しかし刺激を受けなければ楽しくないし、学びは深まらない。そもそも何が無駄なんて分からない。
それぞれのキャラクターが“立ってる”んだよねー!