長くお付き合いさせてもらった下請けの業者さんと、新しい契約を結ばないということになったとき、非常につらい。自分が逆の立場だったらと考えると、いたたまれない。きちんと事情を説明するしかないのだが、何と言ったらいいのか分からない心持ちだ。私には本当にシビアなビジネスはできないのかもしれない。悪い意味で優しすぎる。
もう一方でお客様でも業者さんでも、私が感じるとても失礼な振舞い方で対応されると、非常に腹が立つ。この憤りも自分でなかなかコントロールできない。使う側か、使われる側かという立場に関わらず、ビジネス云々の前に一人の人として扱いたいし、扱ってもらいたい。私はつくづく感情的なタイプなんだと思う。
良くない態度を取ってしまった人は、たまたまその日だけ、気分がすぐれなかったり、体調が良くなかったのかもしれない。もちろん私にもそういう時がある。一時の印象で、その人の人となりを決めつけてしまうのは良くないし、間違いが起こる危険性を拡げてしまう。受け止める側も柔軟性を持っての判断・対応が必要だと思う。
しかしやはり発端を作ってしまったのは能動的な立場にいた人だ。起伏が目立つ性格は個性的と言えば聞こえはいいが、トラブルメーカーの名は付いて回るだろう。駆け引きの中で、意図的に感情を露わにする人や場合があることは知っている。形勢が不利な時に、逆転する起爆剤になる可能性はあると思うが、どちらにしても誤解を招きやすい、危険な商売のやり方ではあると思う。
私は感情的なタイプではあるが、いつも変わらない態度で接することができる人でいたいと思っている。相手によって態度が変わる人にはなりたくない。嫌いだ。しかし相手から敬意を欠いた態度でこられると、これがなかなか難しくなってしまう。
大きな一流と呼ばれる会社同士の取引で、それこそ何億というお金が動くような、ダイナミックな世界での経験が私には無いので、ビジネスを語るのはおこがましい。私の周りのほんの小さな世界で培った経験でしかないので、そのようにご承知おき願いたい。
その下で、しかしお金の大小に関わらず、実際に現場で仕事が動くときは、人と人とのせめぎ合い・関係の中で推移していくものだと思っている。もちろん金額や内容によってプレッシャーの強度は変わり、それによって人間の思考や態度に変化を来たすことも考えられる。そうであって欲しくないとは個人的には思うが。
やはり経験の伴わない予想だけでは、より真実に近づくには無理があるように感じる。
たとえ小さな世界でも、その中で誠実に懸命に生きている私たちがいる。小さい中でも正義と敬意を携えて、仕事に、取引先相手に当たりたい。それしかできないではないか。そしてそれでいい。時に自分の小ささに恥じるときもあるけれど、それも悪い癖でまたもや「比較」してしまっている。できなかった過去への悔恨や未来への妄想とうまく渡り合いながら、心を奪われすぎることなく、目の前の人を大切にしたい。仕事にもっと自分らしさをにじみ出させたい。
さぁ、何と言って断ろうか。