最近会ったのはもう5,6年も前になるだろうか、親しかった同い年の友人が亡くなった。肺がんで一年近く闘病したのちに、息を引き取ったと、お連れ合いから電話があった。気丈にもよく連絡をしてきてくれたことに感謝したい。どんなに辛い思いをされているだろうと思うと、一時、電話口で閉口してしまった。これから何人に電話をかけるのだろう。神さまのご加護が彼女と共にありますように。
どうもこの一年弱の闘病期間、親しい友達には誰にも知らせていなかったらしい。ということは、仲間うちではみんな今日突然の訃報を受けることになる。誰かから連絡が来るかと思ったが、今のところ電話は鳴らない。みんな同じことを思って電話をそばに置いているかもしれない。でも多分今日は鳴らない。何を話していいか分からないし、何を話しても虚しいだけのような気がする。一人一人が悲しみと戦う夜になるだろう。
恐らく余命が宣告されていたと思われる。がんが発見された時はもう手術できない状態だったようだ。つまりこの10カ月ほど、彼は死の恐怖と常に戦ってきたわけだ。その状況下で彼は友人たちには連絡を取らなかった。今となってはもう何故かと聞くことはできないが、まぁ我々がその程度の人間だったということかもしれないが、彼は一つの「死に方」を選んだんだと思う。寂しいけど、それは尊重したいと思う。
どんなにか恐かったことだろう。無念だったのか、仕方がないと思えたのか、またご家族への感謝に溢れていたのか、息を引き取る間際には何を思ったのだろう。こんな若くして逝くのだから、悔しくないはずがなかったとは思う。あぁ、やはり最後お別れを伝えたかった。
彼と親しかった学生時代が脳裏に蘇える。本当に昨日の事のようだ。あの頃から今日までのおよそ30年間がまるで幻のように感じられる。本当にそんな時間が経ったのだろうか。私たちは生きていたのだろうか。「彼が東京に馴染めなくて田舎に帰ろうとした時、みんなで彼のアパートへ集合して励まし合った夜」、「お風呂屋さんへ一緒に行ったり、夕食を一緒に作って食べたり」、「彼のアルバイト先の渋谷にある天ぷら屋さんに食べに行った時」、「今のお連れ合いである“彼女”ができた時」、「私がカナダから帰ってきて、彼が会いに来てくれた時」、「心の病を患った時」、「会社を辞めた時」、「再就職先を見つけた時」、「娘さんに会わせてくれた時」、それから、それから、それから、いや、確かにこの30年は存在した。
お連れ合いに何を言ったら励ましになるのか、強烈な悲しみに言葉を失っていたが、何とか「我々残された者、彼の分も頑張って生きましょう」と絞り出した。月並みだがそれしか浮かんでこなかった。でもそれで充分とも思った。本当にそうしようと思ったから。
もっとじわじわと悲しみが迫ってくるのはこれからかもしれない。彼の“お陰”で友人たちが久しぶりに顔を合わせることになると思う。彼らに会った瞬間に涙腺が崩壊しないように気を付けようと思う。無駄な抵抗にならなければいいが。
お疲れさま、頑張ったね。何だかいつかまたどこかで、会えそうな気がするよ。