家族でニュースを観ていてG7の様子を伝えていた。国際情勢がどうとかよりも、母がきっとこっちの方が興味があるだろうと思って、「カナダの首相は男前だね~」と言ってみた。すると母は、「イギリスの首相はこういう人なんだね」みたいなことを言い始めた。私は「いやいや、イギリスじゃなくてカナダの首相がね、」と言いかけて言葉を止めた。専門家ではないのでハッキリしたことは分からない。私の気のせいかもしれないことは先に記しておく。母は少しボケてきたかもしれない。
天然というか、昔から母はいわゆる“おっちょこちょい”で、愛すべきキャラクターの持ち主だ。特に気が焦っている時は、伝えようとすることがなかなか口から出て来ず、わけがわからないことを口走る。
一番笑った思い出がある。当時の我が家は3階建てで、これは1階のキッチンでの話なのだが、私が帰宅すると母が大慌てで私に助けを求めている。「冷蔵庫、冷蔵庫の扉側」と訴えるのだけれど、私は帰って来たばかりで状況が掴めず、必死に推測しようとするのだが、どう助けたらいいのか皆目見当がつかない。冷蔵庫が爆発でもしたのかと思ったがちゃんとそこにある。よくよく聞いてみると、母は私に「3階にある冷蔵庫から、開くと扉側にあるはずのマヨネーズを急いで持ってきて欲しい」と頼んでいたのだった。マヨネーズの「マ」の字も一切聞かされず、思い返してもあの状況で「そりゃ、分かるわけないよ」と思う。私の文章力ではあの時のおかしさが伝えられなくて残念だが、私にはとてもウケた。母はいつも自分のことで精いっぱいで頑張り屋さんだから、今日のカナダ・イギリスことも、「いつものことだ」と思えば思えないこともないんだけれども、やっぱり少し違和感があった。
母にはボケずにいつまでも元気でいて欲しいと、誰よりも私が願っている。だから母には少し厳しい物言いになってしまうかもしれないが、ボケない為には頭を働かせるべきだと思うから、嫌われても仕方がないけど今後は心を鬼にして言おうと思っている。
会話をすることが一番ボケ防止になるのではないかと言いたい。適応力が要求され、複合的にとても頭を使う作業だから。会話はキャッチボールなので自分の言いたいことだけ言っていては成り立たない。しっかり相手の言っている内容を把握し、返す内容を考えるべきだ。そしてそれを言ったら相手がどう思うか、すでに相手に伝えてある情報を踏まえて、相手の立場に配慮して発言する必要がある。耳障りのいいことだけを選んで発言しろと言っているのではない。それらをしっかり踏まえた上での言葉であれば、もうそれは個性だから、どう捉えられようが気にする必要はない。
母にそんなことを本当に言えるだろうか。キャッチボールができていないと糾弾することは、母を傷つけ苦しめることになってしまわないだろうか。そもそももうそんな説教染みたことを言ったって、手遅れなのかもしれない。そうでなくても理解してくれないかもしれないが。でも諦められない。多少苦しめたとしても、その分しっかり生きられるなら、鬼にもならなければならない。予防措置とでも言って騙して、医者に連れて行ってみようか。
父はいつものことだと言っている。