「絶望」していた。何もかも失った感じだった。喪失感だけでなく、カナダのアパートの維持と、どうやったら戻れるのかを考えると、やはり未来は絶望的だった。少なくとも一年間は再入国できないし、空港であんな思いはもう二度としたくない。恐ろしい。何よりこれから移民になろうとしている国から追い出された事実が苦しくせつなかった。失意のどん底で何とか地元の実家へ帰郷した。二泊四日でカナダと日本を往復しただけでも結構な体力を消耗するわけで、今思うと無事に帰って来られただけでも幸運だった。
悲劇の主人公のつもりで帰ってきた。「皆さん、私はかわいそうな人です。どうぞ同情してください。」、「私は死力を尽くして頑張りましたが、カナダでは誰も同情してくれませんでした。どうか慰めてください」。口にはしなかったが、そんな感じだったと思う。家族には電話で全て伝え、帰る事情を説明しておいた。だからせめて家族だけはかわいそうな私に同情してくれると、どこかで期待していた。
打ちひしがれた気持ちのまま実家へ到着し、中へ入ると誰の姿も見えなかった。でも洗面所の方から、“美顔器”と呼ぶのだそうだが、顔の皮膚を引っ張ることでマッサージ効果を生み出す用具を使っている「ポコッポコッ」という音が聞こえてくる。母がお肌のお手入れにご執心だった。それが何の音か気づいた瞬間、こめかみの血管がブチッと切れた。「こんなに酷い目に遭った長男様が帰宅したのに、誰も出て来んのか~!!」といった感じだったと思う。怒髪天を衝くとはあのことだった。瞬間的だったが、なかなかあそこまでの憤怒の感情はないと思う。しかしほんの次の瞬間コロッと、今度はちょっと笑ってしまった。あまりに強い怒りのエネルギーのために、疲れ切っていた身体が少し熱くなって元気が出ていることに気づかされたからだ。「あれ~?オレまだ怒る元気が残ってるじゃん」とおかしくなってしまったのだ。この瞬間、私は『親離れ』を悟った。
この母の、何の魂胆もない普段のお肌のお手入れ作業は、私の心をとても揺さぶった。人にはそれぞれの人生があり、それぞれの世界で人は己の営みに励んでいる。今日私がどんなに苦しんでいても、それぞれの世界は何もなかったように移り変わり続けていく。母には母の生きる世界がある。関わり合うことはできても、私の苦しみを誰かにそっくり預けることはできず、解決できるのは自分自身以外に存在しない。そう思えた時に何かがスッと胸に落ちて、涼しい風が身体を吹き抜けた。もう頼ることができない不安と寂しさを覚えつつ、両親に心の中で「さよなら」を告げた。
だがしかし失意と消耗の度合いは深く、この後2週間私は部屋に引きこもってしまうのだが、言いようによっては、あの厳しい経験からたった2週間で再び立ち上がれたのは、あの「ポコッポコッ」というなんとも言えない妙な音のお陰だったかと思う。運命と言えば運命。
悲劇の主人公でも何でもない、私は単なる世間知らずのわがまま坊やだ。この強制送還のことは、誰のせいでもなく自分で勝手に招いた当然の結末だった。もっとちゃんと慎重に調べ、然るべき機関に相談するなりして、最悪の場合を想定して行動するべきだった。それを全く怠った、全く私の過失だった。
結局私はカナダへ帰ることは出来なかった。それから5年後に旅行で2,3日訪れただけ。悔しい思いは今でも残っている。ただあの出来事も私を作っている一部であることは、動かしようのない事実だ。
まだチャンスはあるかもね~、分からんよ。