無駄話

投稿者: | 2021-08-03

 むしろ一見無駄に思えることの方にこそ、豊かに生きるヒントが隠れていると言ったら言いすぎだろうか。無駄足、無駄口、無駄遣い、無駄死。役に立たない行為の代表のように虐げられている。だけど本当に「無駄」は役に立たないだろうか。
 一生懸命にデザインに取り組み、長い時間をかけてやっと完成し、プレゼンの場で一瞬にして没にされる。私は純粋なデザイナーではなく、それほど頻繁に起きることではないが、それでも時々やられる。ダメ出しをくらったショックも大きいが、それ以上にこんなに時間をかけて作ったのに……という、無駄な時間を過ごしてしまった喪失感・後悔が重くのしかかってくる。しかし私が必死に取り組んで費やした時間は、本当に無駄だったのだろうか。

 「油を売っていないで仕事をしなさい!」等というセリフは、昔の日本のドラマでよく見られたシーンだ。もっとも若い方たちにはもう通じない表現かもしれないが。仕事の全体的な効率を上げることを考えれば、無駄はできるだけ排除したい。実際に工場内での作業など、無駄口を叩いている暇など全くない職場環境の方が多いのかもしれない。人間も大きな歯車の一部となって機械のように正確に業務をこなすことが求められる。
 高校時代にかまぼこ工場でアルバイトをしたことがある。流れ作業の中で、まさに機械の一部のようにひたすら同じ作業を繰り返す役割は、本当に大変な仕事だと実感した。私にはとても長くは耐えられない仕事内容だった。産業革命以降の大量生産の時代に入ってからは、ああいった働き方が世界で一気に増えたのだろうと予想する。何というか、逃げ場のない厳しい職場だった。あの世界で生き続けられる人々は本当に辛抱強くて尊敬に値する。

 仕事に関しては懸命に努力してきたつもりだったが、こうして振り返ってみると、効率に重きを置かない無駄なやり方を駆使して、私は今まで働いてきたのかもしれないと思う。効率=辛抱だとしたら、辛抱強くない私には必然の結果と言える。しかし「だからおまえはダメなんだ!」と言われると、反発を覚える。大げさに言えば、私はどこかで効率だけを求めようとする社会に抵抗しているのかもしれない。
 仕事という言葉・概念の捉え方にも依るかと思う。多くの人々がそれぞれの人生で多くの時間を費やす「仕事」って何だろう。その壮大なテーマについてはまた別の機会に深掘りしようと思うが、少なくとも「お金を儲ける手段だけ」の意味を持つ言葉ではないと信じている。英語で職業を質問するときに「What do you do for living ?」という訊き方があると思うが、仕事とは「生き方」と捉えることもできるのかもしれない。

 私は無駄話が大好きだ。日常の他愛のない話からそれこそ仕事のアイデアやヒントをもらうことは珍しくないし、新しい発見も生まれる。要はどれだけ感受性を高めて、一つ一つの会話や相手の表情、引いてはお天気や様々なニュース等を自分の経験として受け止められるかにかかっているのかと思う。
 「無駄なことはこの世に何一つない」と誰かが言った。それが本当だとするならば、心血注いだ仕事を否定されることも工場での厳しいアルバイトも、そして大好きな無駄話にもきっと意味がある。無駄口叩いてばかりではダメだとは分かっている。けれどもその無駄がもう一方の“がんばり”を支えてくれていると思うのだが。

 オレってやっぱり考え方甘いかな?

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