闇の時代

投稿者: | 2021-08-05

 細かく見れば、悪いことばかりが起きた訳ではない。でも総じて私の人生における7年半くらいの「東京」での生活は、あまりいいものではなかった。無駄だったとは思わないが、思い出さなくてもいいと言うか、思い出したくないと言うか、そんな感じだ。色々うまくいかなかった。総じて「孤独感」を突き付けられる時間が長かったように思う。いわゆる「バブル期」の中盤から終わりにかけての時期で、軸足の置き場所が定まらない不安定な年代に、人や物に翻弄された部分もあったかもしれない。

 昔から、例えば東京と決めたら絶対東京に行く、カナダに決めたら絶対カナダに行く、などと頑固で融通が利かないところが私にはある。今考えれば大学時代を過ごすのに「関西」という選択肢も考えられたはずで、もしくは他の場所でも面白かったかもしれない。そう言えば父親は推薦で行けたはずの京都の大学を勧めていた。そして正直今では北米よりもヨーロッパへの興味の方が強い。何か大きな変化を自ら行おうとする時は強力なモチベーションが必要だが、もっと柔軟な考え方をとっても良かったかもしれない反省はある。

 頑固さを我慢強さを伴って持ってしまうと始末に悪い。そういう“頑固さん”は多いのかもしれないが、「一度自分で決めたんだから」と失敗を自覚しつつも頑張り抜いてしまう。自分で始めたことを途中で止められないプライドもある。もっとも東京での生活については大学入学で東京に出てきたわけで、卒業しないで退学することは大変な親不孝だ。だから現実的にはそれもできないけれど。そういった意味で状況によってケースバイケースではあるけれど、あまりにも決めたことに頑固に固執し過ぎると大局が見えなくなることは知っておくべきだと思う。時には諦める「勇気」が必要な場合もある。大学選びについては、当時は他人の意見に全く耳を貸さずわがままに決めさせてもらった。まぁ、仕方がないけれど。

 もちろん東京で苦い経験をしたからこそこの反省が生まれ、カナダで生活したからこそヨーロッパへの関心が膨らんだ。そしてそれらの経験があったからこそ、私の「今」がある。感謝すべきであって後ろめたく思う必要は全くなく、それは分かっているつもりではある。しかしこのブログを書こうとネタに思いを巡らせるとき、当然東京時代のことも思い起こすわけだが、思い出すこと自体に苦しい部分が多く反対に落ち込んでしまうことになる。怒りに自分が抑えられなくなるとこもある。なるべくなら避けて通りたい道程だ。
 過去のことを思い出しこうして文章にしようとすることは、私にとって益々大切な行為に成長している。東京時代を思い出すことはもう一つ大きな壁を乗り越えるための試練なのかもしれない。嫌な思い出、嫌な人々を思い出すのは辛いし、しなくてもいいことのように思える。でも恐らく避けてしまっては私の生きたいところへは行けないのかと思う。まだ書けない、まだ思い出したくないが、いつかチラッと書き始められる日が来たら、またちょっと成長したなと思ってください。

 言ってもそんな事件になるような凄いことがあったわけではないですよ

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