Angels

投稿者: | 2021-08-06

 映画で「シリーズもの」はたくさんある。ヒットした作品のパートⅡ、Ⅲを作るのはよくあることだ。第一作目での登場人物たちのキャラクターやその他の設定をそのままに、その後の新しい展開を描いていく。代表的なところでは「ロッキー」シリーズが頭に浮かんだ。変則的だが「スターウォーズ」や「ターミネーター」、「ミッション・インポッシブル」シリーズ等もその類いだろう。続編が作られるに従い時代設定は移り変わり、新しいキャラクターが登場し、新しいストーリーが始まる。撮影や編集などでも新しい技術が投入され、驚くような演出で仕上げられていく。予算的にも積み上がるのかもしれない。そうでなければ観る側は飽きてしまうことだろう。
 しかし大抵の場合、新しい中にもそのシリーズならではの「香り」みたいなものが残っていると思う。それは単語やセリフ、音楽である場合もあるし、もっと精神的なシリーズを通して底辺に流れている何か感覚的なものかもしれない。

 変わらないものを追い求める気持ちがある。時代は変われど、時空を超えて変わらずに光り輝くようなもの。サラッと言ってしまえば「愛」ということだと思うが、本当の愛を理解するには私はまだまだ経験が足りない。様々な愛の形や育成される行程、また愛にまつわる多種多様な気持ち・感覚などを今も勉強中だと言える。こういったことは今日はこれくらいにして、つまり私の心の一部には「変わらないでいて欲しい」と願う気持ちが存在している。その中の小さな一つがこの映画の「シリーズもの」における「型」のようなものを崩さないで欲しいと願うことだ。

 小学生の頃だったと思う、眠い目をゴシゴシと手の甲でしごきながら眠気に耐え、夜遅くまで起きて観ようと頑張っていたアメリカのテレビ番組があった。溜まらなく魅力的でキレいなお姉さん三人組が主役の探偵ドラマだった。キレいなだけでなくアクションのキレやセリフの言い回し方もおしゃれで、それはもう虜になったものだった。姿を見せず、スピーカーから聞こえてくる声だけの存在である「ボス」からの指令に沿って、難事件を次々とカッコ良く解決してゆく三人に、私はそれはもうメロメロだった。三人にまさに恋していた。テーマ曲や場面転換で使われていたジングル、また影絵のタイトル画が非常に印象的で、それらに触れると今でもあの頃のドキドキした気持ちを思い出す。三人のサポート役で、一見のろま風の小太りな中年男優もい~い味を出していた。

 昨晩「チャーリーズ・エンジェル」という2019年に制作された新しい映画をアマゾンプライムで観た。それだけ単体で観ればアクションシーンもよくできているし、女優陣がとても魅力的に映し出されていて、アクション映画好きが楽しめる作品であることは間違いない。問題ない。問題は私の方にあると言うことだと思う。
 そのタイトル名を使うなら、私のようなオールドファンをもっと“くすぐって”欲しかった、と思うのは傲慢だろうか。私には別ものに見えてしまった。別ものと割り切って観れば問題のないことだと思う。しかし悲しいかな映画のノリとは正反対に少し哀愁を感じてしまった。時代の流れ、人々の感覚に合わせるのは難しい。昔を知らない若い人にはあれでいいのかもしれないし。シリーズものは難しいなと改めて思う。

 ボスレーになりたかった

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