引き際

投稿者: | 2021-08-13

 「空気を読む」ということがある。私は非常に大切なことだと思っている。それには勉強も必要だし、ニュースや情報にもよく注意を払っておかなければできない。空気を読んで、その上で敢えて“空気”を切り裂くような発言をすることは、それが本当に必要だと思うならば全くOKだ。むしろ切り裂くべき対象になるかと思う。自戒の念を含めての記述になるが、つまり自分の考えや感覚と一般の方々の意識・常識との距離を第三者的に認識できるかどうかは、自分の意見を確かに検証するための重要な条件になってくる。特に政治家や有名人の方たちは、「空気」には非常に注意するべきだと思う。

 「おじさん」たちは悲しいかな、“笑い”が欲しくなる。ダジャレなのかボケなのか皮肉なのか、手段はその人それぞれだが、周りの人からちょっと“面白い人”に見られたくなってしまう。本人には悪気がないのは分かる。しかしそこに落とし穴がある。
 笑いを取るにはいわゆる常識から多少逸脱して、行動や言動しないとなかなかうまくいかないだろう。その逸脱の仕方が問題だ。本人はとっさの判断で「これをやったら面白い」と思ってやる。ところがおじさんが面白いと思うものと一般の方々の面白いにはズレがあることに気づかずにやってしまう。笑いが欲しいから。気が置けない仲間や取り巻きとだけの空間だからこそ“ウケた”経験が、おじさんに変に自信をつけさせてしまう。外へ出ても同じように受け入れられると思い込んでしまうところに、おじさんの悲劇がある。

 そういった「おじさん」には経験があり、余裕がある。全てのおじさんを一概には言えない。だが同じ年齢の方であっても、例えば新任であったり倒産寸前の社長さんだったりすれば、それほど余裕がある様子は見せられないと考えられる。「笑いが欲しい・面白く思われたい」などの発想が生まれるのは、その道で長い期間にわたって高めの地位に就いていらっしゃる方にきっと多いはずだ。「権力」という言葉は大げさかもしれないが、そういう地位に長く居座る人には「空気が読めなくなる」道を辿る運命が待っているように思えてならない。世間の人々がまるでみんな自分の手下のようにトチ狂ってしまう瞬間があるのではなかろうか。
 広く一般の方から笑いを取るのは、ある意味では最も難しい業だと思う。そこを分からず下手の横好きで、悪戯にできもしないことに手を出してしまうことが、そもそも謙虚さを欠いている。「自分は何をしても、言ってもいいんだ」という驕りがあるのではないか。偉いおじさんに求められているものは、そこではない。

 だがしかし、敢えて言えば、それは本当に運命で仕方がないことなのかもしれない。権力の座は置いておいたとしても、同じ職場なりで長く過ごすと、生じてくる“驕り”を押さえつけることは難しい。慣れ、マンネリ、飽き、怠け、こなし、やっつけetc。嬉しい単語は見つからない。笑いの一つも取りたくなるのは分からんでもない。
 それらの感情と折り合いをつけながら、一日一日を強く生きようとする行為は尊い。現実には経済的に耐える必要に迫られ、頑張り続けるケースが圧倒的だと思う。しかし継続してきた事実を誇りにして、経験を驕ってしまうのではなく、平和への貢献や生きる力に変換していきたい。

 若い人にもすでに「おじさん」は、いるね~

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