ボストン魂

投稿者: | 2021-08-12

 「あの時ああしておけば良かった」と思うことはよくある。たぶん誰にでもよくある後悔だと思う。でも当然ながら時計の針を戻すことはできず、起こってしまった事実を変えることは誰にもできない。どんなに泣こうが喚こうが、残念ながらどうすることもできない。できることはその現実を踏まえて、これからをどう生きるかだ。

 映画「パトリオット・デイ」を観た。2013年4月に起こってしまった、「ボストンマラソン爆弾テロ事件」の実録サスペンス映画だ。世界中のランナーが集う大規模なマラソン大会の開催中に爆弾テロがあり、3名の死者と180名以上の負傷者が出た事件にまつわる人々のストーリー。映画の中には実際の写真や映像も登用されていた。大勢の人が集まる場所では世界中どこであっても起こり得る爆弾テロ。“安全”な日本と言えども、全く起こり得ないということはない。
 もちろん起こらないように努力するべきだ。国際平和の実現・貢献、危険性の察知、情報の共有、監視、調査、点検、などなど他にも色々あると思う。誰かに頼るだけでなく、市民一人一人が警戒の気持ち・眼差しをもってイベントなりに参加する必要もあるかもしれない。けれども万全の体制を敷いたとしても、その網をかい潜ってテロが起きてしまう可能性はゼロにはならない。起きてしまうときは起きる。大切な人を失ったり、自分の手や足を吹き飛ばされてしまったりする危険はゼロではないだろう。

 この映画では、映画だから、犯人を確保するシーンの過激な演出があり、またFBIや警察、ボストン市の指導者たちの優れた捜査・対応能力を賛美する描写もあった。加えて戒厳令下でのボストンの人々の一致団結した姿勢、爆弾の恐怖に打ち勝つ勇気みたいなものに感銘を受けた。どこまで事実に近づけているのかは分からないが、それはそれでちゃんとしっかり「映画」になっているし、問題ない。楽しめた。
 しかしそれよりもこの映画のキモは、やはり「ある日突然足を失った人たちのその後」であろう。実はこの映画では事件発生から犯人を逮捕できたまでの102時間のことしか描かれていない。負傷者たちの「その後」については、事件から数年後に彼らが義足をつけたり車いすに乗ったりしてボストンマラソンに出場した時の実際の映像が、映画のラストに数分使われているだけだ。実際に私は彼らのこの描かれていない数年間の方に自然と思いを寄せた。想像し、追体験をしてみた。2時間13分というこの映画の上映時間の中にはない、負傷した人々の生活シーンを思い描いてみた。これを演出手法と呼べるのかは判断できないが、その「もう一度立ち上がる」人間の強さみたいなものが、私がこの映画を観て一番伝わってきた事柄だ。

 できれば五体満足のままでと思う。病気も何もなくと思う。しかし何が起きるかは分からない。その時のために心の準備をしておこうとは思わない。でもそういう事件が過去にあって、今なおそういう生き方をしている人たちが存在することは知って良かったと思う。そしてさらに亡くなった方たちに思いを寄せる。我々がこうして生きていられることは本当にラッキーなことだと思う。

 屋根の上で拳銃を構えたチャビーなおばさん警官が、めちゃめちゃカッコ良かった

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