監督(その3)

投稿者: | 2021-08-16

 そもそも何故私に白羽の矢が立ったのだろう。託された人がたとえ野球を知らなくても、「先生」であれば、まずは生徒が安心だろうし、相手校の先生も助け舟をより出し易かったのではないかと思う。誰にお願いするか考える時間がなかったことは一つある。それと私が母校での仕事とは別に地元の高野連のお手伝いをしていたことがあって、監督がそれを知っていたから候補に挙がったのかとも思う。それにしても監督先生とは今でこそ飲みに行ったりする仲にまでなったが、当時は“そこまで”深い付き合いではなく、よく思い切って私を起用したものだと思う。ちょっとそういう“ブッ飛んだ”ところのある方ではあるのだが。
 ただの引率者ではなく、少しでも「野球」を生徒たちに伝えることができる人を選んだということなのかもしれない。それだけ監督がこの年のチームに期待していて、成長できる時間を無駄にしたくないと思っての判断だったのかと思う。

 うちの選手は個性が強い子ばかりだった。つまりみんなが一筋縄に素直に何でも従ってくれるという訳ではなかった。そういう従順で口数が極めて少ない子が1名だけいたが、その子でさえ何かのタイミングでたった一人になってしまった時も、黙々とノックを受け続けるガッツのある子だった。野球が好きなんだな~と感じた。

 みんなとても“気持ちのいい子たち”、それは間違いない。ただヤンキーみたいな感じとは違う、何と言うか、プライドみたいなものが見え隠れする、「一度こうだと思ったら絶対に退かない」ような頑固さが一人一人から見て取れるチームだった。練習は一生懸命するし、それなりに上手い選手ばかりで、正直驚いた。

 エースピッチャーはコントロールが今一つだったが、140km/hに迫るかと思われるほどの剛速球を185cmの長身から投げ下ろしていたし、2番手ピッチャーは高校に入ってからピッチャーとして育てようとしている1年生で、ストレートの球速だけはエースよりも上回っていた。この1年生は後に指導者の間で常に活躍が注目されるような存在に成長していく。二人ともいわゆる“野球特別高校”のような高校に入っていれば、行くところまで行けた選手かもしれない。

 野手陣も中学の頃からレギュラーでバリバリにやっていた者もいれば、一生懸命練習して少しずつ力をつけてきた苦労人タイプの選手もいて、そういう彼らの個性が絶妙に調和された、私が参加させてもらう前からもうすごくいいチームだった。部員数が少ないことは、例えばノックを受ける本数や打撃練習で打てる球数が多くなることを意味し、手が少ないので何をするにも準備に時間がかかるなどデメリットもたくさんあるが、一番必要な個々の反復練習の機会を多く得るためにはメリットの方が大きいと考えている。

 これは後々になってから感じたことだが、そんなポテンシャルの高さにも関わらず、何故かこのチームは土壇場で勝ち切れなかった。一言で言えばメンタルが弱かった。追い詰められた状況でいつもの力を発揮できない。いつも以上の力が要求される場面なのに。それはもしかしたら我が母校野球部の伝統的な性質になってしまっていることで、確かに私の年代のチームにも個々に精神面での脆弱性はあったように思う。私を含めて。
 話を戻す。中学の時から日の当たる道を歩いてきた花形選手に特に「ガラスのハート」傾向が見られた。当然うちの中心的な選手たちなわけで、そこで崩れると自ずと勝敗に直結してしまった。彼らが野球特別校に進学せず、キリスト教主義のわが校に来たのは、やはり偶然ではないように思えた。

 (その4)へ続く

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