「感受性」という言葉を辞書で引いてみた。「既成観念にとらわれず、外界からの刺激に敏感に反応することが出来る心の働き」ということだった。私は自分で感受性が高い方だと思っている。「感受性」を私の言葉で言い換えると、「小さな出来事でも大騒ぎできる力」とでもなるだろうか。私の場合、いつでもどんな時でもというわけにはいかないが、普通は見過ごしがちな些細な出来事に対しても気持ちが留まり、それをきっかけにいろいろと考えを巡らせることができる。このブログを続けられているという事実は、私にそういった特性があることを証明しているようにも思う。
この私の“特性”を「良い性質」と捉えるならば、「細々したところまで気を配ることが出来る」とか「他人の気持ちに理解がある」等ということがあるかもしれない。人から「優しい」と評されることは実際多い。しかしこれを「悪い性質」と捉えることももちろん可能だ。すなわち、「細かすぎる」、「心配しすぎる」、「思い切りがない」、「考えすぎる」、「屁理屈だ」、「臆病だ」等々、悪いところを上げれば切りがない。
どんな立場の人が見るか、或いはどんな状況の時に見るかで、一人の人間に対する評価は違ってくる。それだけ人間という生き物が構成する社会は多様で、さらに一人一人の多様性をみんなでこれから認めていこうと言うのだから、社会全体が混沌としてしまうのも避けようがないことなのかもしれない。
不登校の問題や、或いはパニック障害等もそうかもしれないが、そういった精神的に問題を抱えている人たちには、これは私の個人的な見解だが、感受性が強い人が多いのではないだろうか。彼らは敏感すぎるほどに周りの人たちの気持ちや雰囲気を感じ取ってしまうような気がする。そしてその感覚を必要以上に自分の頭の中でこねくり回す。行きすぎた妄想が入り交じってしまう場合もあるのかもしれない。良い言い方をすれば、感受性と想像力に富んだ人たちがそういった精神的な病に陥りやすいのではないだろうか。
ここで語り尽くせるほど不登校の問題は簡単なものではない。しかし原因を探るためのヒントとして、「感受性の強さ」という可能性を通して解決に当たってみることは、一つの方法としてありなのではないかと思う。
感受性が強い人たちには、芸術的な才能が備わっている場合があると聞く。残念ながら私にはそういった面は見られないが、「才能がある」ということは自分の意志ではどうにもならない事柄だろうから、持っている人は大事に育てていくべきだと思う。
学校に通うことができない人たちは、同じ風景を見ていたとしても、普通の人たちには見えない世界を無意識に感じられているのかもしれない。もしそうだとしたら、彼らの感覚を頭から否定するのではなく、能力を伸ばしてあげられる方法を模索することは大人の役目のようにも思う。犯罪に繋がるような思想を抱くことは防ぎたいが、少なくとも感じてしまうことを禁止することはできないだろう。「学校」とか「規則」とか、人間が作った枠組みに無理やり入れ込むことは、もしかしたら間違いなのかもしれない。
オレ、細かいことを気にし過ぎかな?
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Truant
I looked up the word “sensitivity” in the dictionary. I found that it means “a function of the mind that is able to respond sensitively to stimuli from the outside world without being bound by preconceived notions. I consider myself a highly sensitive person. If I were to put “sensitivity” in my own words, it would be “the ability to make a big deal out of even the smallest event. In my case, I can’t say that I am sensitive at all times, but I am able to catch myself thinking about trivial events that I would normally overlook, and this makes me think about various things. The fact that I am able to continue this blog proves that I have such a characteristic.
If I were to consider my “characteristics” as “good qualities,” I might say that I am “attentive to details” or “understanding of other people’s feelings. In fact, I am often described as “kind” by others. However, it is of course possible to consider this as a “bad trait. In other words, I am “too detailed,” “worry too much,” “not bold enough,” “think too much,” “cryptic,” “timid,” etc. There is no end to the list of bad qualities.
The evaluation of a person differs depending on what kind of position the person is in or what kind of situation the person is in. The society that human beings make up is so diverse, and since we are all trying to recognize the diversity of each individual from now on, it is probably inevitable that the society as a whole will become chaotic.
In my personal opinion, people with mental problems, such as truancy or panic disorder, tend to be highly sensitive. They seem to sense the feelings and atmosphere of the people around them to the point of being overly sensitive. And then they twist those sensations around in their own heads more than necessary. There may be cases where too much delusion is mixed in. In other words, people who are sensitive and imaginative may easily fall into such mental illnesses.
The problem of truancy is not as simple as we can make it sound here. However, as a hint to find the cause of the problem, I think it is possible to try to solve the problem through the possibility of “sensitivity.
I have heard that people with strong sensitivities may have artistic talents. Unfortunately, I do not see such an aspect in myself, but I think that those who have a talent should nurture it carefully because it is something that cannot be controlled by one’s will.
People who cannot attend school may unconsciously feel a world that ordinary people cannot see, even if they are looking at the same scenery. If this is the case, it seems to me that it is the role of adults to seek ways to develop their abilities rather than to deny their senses out of hand. We want to prevent them from having thoughts that lead to crimes, but at least we can’t prohibit them from feeling. It may be a mistake to force them into the framework of “school,” “rules,” or any other human-created framework.
Am I being too concerned about details?