重用の罠[The trap of being treated with respect]
私はキリスト教の洗礼を受けてまだ1年半くらいしか経っていないのにも関わらず、通っている教会が小さく、信徒の数が少ないこともあって、礼拝の司会や役員会の書記などの重要なポジションをすでに任されている。私としてはそういう大… 続きを読む »
私はキリスト教の洗礼を受けてまだ1年半くらいしか経っていないのにも関わらず、通っている教会が小さく、信徒の数が少ないこともあって、礼拝の司会や役員会の書記などの重要なポジションをすでに任されている。私としてはそういう大… 続きを読む »
若い頃は、それが何なのかは分からなかったが、何か大きな事をやってみたいという野望があって、その夢をいつか実現するために私の人生はあるのだと思っていた。日々の生活はあくまでもその夢を成し遂げるための待機期間なのであって、… 続きを読む »
私は洗礼を受けてまだ1年半くらいしか経っていないが、受洗後からクリスチャンとしての責任を感じ、そんなに無理をしない程度のつもりで、私なりに鍛錬を続けてきた。それは聖書を読むことであり、お祈りをすることであり、また教会生… 続きを読む »
ヨハネによる福音書の17章を読んでいた。来週行われる予定の聖書研究会で学ぶ箇所に指定されているからだ。多い時でも6~7名ほどでしか行われない小さな勉強会だが、私としては会の大きさは全く関係ない。率いてくださる牧師先生が… 続きを読む »
聖書を読んで、難しいと思う。いつも思う。どうしてこんなに分かりづらい表現を使うのだろうと不思議に思ったり、イラついたりすることさえある。そうなってくると読むこと自体が苦痛に感じてきてしまう。そんな苦しんでいるある日、ふ… 続きを読む »
異性を求めるいわゆる恋愛感情というものがあって、私も若い頃は女性のことばかり考えていたものだ。他の人と比べてみようがないけれど、自分で思うに、私は異性に対する執着心というのか、求める欲求は相当に強いものがあったと思う。… 続きを読む »
「本気で生きているか」と問われれば、答えに窮する。腹をくくっている状態とは言えないだろう。キリスト教の主なる神さまを信じる信仰生活において、自分では随分と頑張っているように思うが、頑張っているようではまだまだ甘い。頑張… 続きを読む »
この日記を付けるという作業は、自分の深層心理に迫る行いなのではないかと思っている。一日休みで外にも出ず、部屋でずっとテレビを見ているような日であっても、様々な思いが私の中を行き交ってゆく。それが頭の中なのか胸なのか、或… 続きを読む »
どうしても嫌いな人間がいる。その人のことを考えるだけで腹が立ってくるし、ましてや顔なんて見たくもない。一生会わなくても良いと思っている。けれどもイエス様は敵を愛しなさいと言われる。主に従いたいと思う。しかし少なくとも今… 続きを読む »
私が住んでいるところからは遠いのだが、同じ市内の漁港でお祭りがあり、初めて行ってきた。照りつける日差しの下、たくさんの人たちが集まっていた。夏休みなので子ども連れで来ている人が目立っていたように思う。鮮魚や牡蠣の販売テ… 続きを読む »