何も変わっていない[Nothing Has Changed.]
やりたい事、またやらなければならない事にどうしても手が付けられないということがある。それは、私は「神さまの時が満ちていない」からだと思っていた。確かにそういう場合もあると思う。自分の判断を過信して、思いついたら何でもや… 続きを読む »
やりたい事、またやらなければならない事にどうしても手が付けられないということがある。それは、私は「神さまの時が満ちていない」からだと思っていた。確かにそういう場合もあると思う。自分の判断を過信して、思いついたら何でもや… 続きを読む »
お金になるかどうかに関わらず、仕事を楽しんでいる人は輝いている。目の前にある課題に没頭し、魂を傾けて取り組んでいる様子は感動的でもある。そういう仕事に出会えた人が幸運だったと言えるのかもしれないが、継続して取り組み続け… 続きを読む »
「頑張れば必ずできる」ということは、私は無いのだと思う。かつてはあると思っていた。自分の力で何でも実現できると思い込んでいた。もしかしたら“できちゃう”ことがあるかもしれないが、でもそれは私の頑張りだけが原因ではないの… 続きを読む »
生活していく中で、不思議な感覚に包まれることがある。何か自分ではない他の誰かが私に乗り移って、私に代わって何かをしているような感覚。このブログを書いている時にその兆候が顕著に現れるのだが、他のことでも最近は特に頻繁に、… 続きを読む »
聖書研究会のお陰で聖書への理解が進むにつれ、私は神さまとの距離が縮まってきているように感じ始めていた。「神さまを信じられる」という自信みたいなものがついてきていたように思う。 そんな時、私は「教会」に興味を持つようにな… 続きを読む »
私は今56歳で、ちょうど40年前は高校1年生だった。私の高校はプロテスタント系のキリスト教の考え方を教育の基本に据えた、いわゆるミッションスクールだった。私は第1志望の公立高校に受験で失敗し、仕方なくそのミッション高校… 続きを読む »
今までの人生で、カナダで暮らしてみたり、コックとして働いてみたり、サラリーマンだったり、独立して起業したり、その他様々なことにチャレンジしてきた。今考えれば、全てが中途半端だったのかと思う。一つ一つについて、「命を懸け… 続きを読む »
「こういう人間になりたい」という自分の目標を達成するために、あれこれと思いを巡らし、「怒らないようにする」等々の精神的な“禁じ手”を設けるなどして私は対策を立てている。しかし作戦通り少しずつ努力をできたとしても、恐らく… 続きを読む »
幼い頃はもっと時間がゆっくり流れていたような印象がある。私が特別なわけではなく、大抵の子どもは好奇心の塊のような感じだろうし、全てが新鮮で一日一日を今よりもっと目を大きく見開いて、集中して生きていたような気がする。 そ… 続きを読む »
今週はこれと言って特別なイベントがあったわけではないのだけれど、気持ちの浮き沈みが大きい週だった。その中でどの出来事を取り上げて今日は書こうかと考えていると、すでに2時間が過ぎた。結果的に何もしなかったこの2時間を私が… 続きを読む »