私の幸せ(その2)[My happiness(Part 2)]
そして私の中でいつの間にか、「自分」なのか、「他人」なのかという問いが消えて行く。どちらかを選ばなければならないという切迫した心理状態から解放されてゆく。今考えると、何故どちらかに決めなければならないと思っていたのか思… 続きを読む »
そして私の中でいつの間にか、「自分」なのか、「他人」なのかという問いが消えて行く。どちらかを選ばなければならないという切迫した心理状態から解放されてゆく。今考えると、何故どちらかに決めなければならないと思っていたのか思… 続きを読む »
私は自分が幸せになりたいと思う。いつも幸せを感じながら生きたいと願っている。それは間違った目標ではないと思っていて、問題は「私の幸せとは何か」という答えがなかなか見つけられないということ。実際今でも探し続けているわけだ… 続きを読む »
ヨハネによる福音書の15章の前半では、神さまとイエス様と人間の関係について、非常に分かりやすい表現で記されている。私にとっては本当にしっくりくるたとえ話だ。神さまはぶどうの木を世話する農夫で、イエス様はぶどうの木。そし… 続きを読む »
今日はショックなことがあった。お客様から契約していた仕事をキャンセルされてしまった。一年かけて完成させる予定だった仕事で、それなりに売上も見込めていた。もう取りかかっているのにまさかキャンセルされるとは思ってもみなかっ… 続きを読む »
普段、漠然と感じているくらいで、それほど気にしていない微かな感覚でも、気付いてこのブログに書き記していると、しっかりと意識上に浮かび上がってくることがある。そんなことを毎日繰り返していると、私の考え方やものの見方、感じ… 続きを読む »
今日、私がこうして生かされて、命を紡いでいることも、間違いなく奇跡である。少なくとも私はそう信じている。だがしかし、このかけがえのない奇跡を、私は日々の生活の中で軽んじてしまう。いつも神さまとイエス様のことを忘れず、感… 続きを読む »
キリスト教の主なる神さまに全てを委ねて、これから生きてゆきたいと本当に思っていると思っている。自分を捨て、主に従って生きるより他に道はない。聖書にそう書いてある。だがしかし、私は本気で自分を捨てようと思っているのだろう… 続きを読む »
40代の後半、間もなく50歳になろうとする頃、自分の人生を振り返るような時期を迎える人がいる。私の狭い交友範囲の中においてではあるが、そういう人は多いように感じる。社会に出てから働いたり様々な経験を積んだりする中で、ふ… 続きを読む »
キリスト教や信仰のことは少し横に置いておいて、私自身の存在を客観的に見ると、残念ながら実際の力量も、経験も、実績も、何もかもが足りない。いわゆる社会的な価値は低い人間だと思う。それが証拠に、誰も重要な役割を私に任せよう… 続きを読む »
キリスト教の神さまを信じて私は生きている。私の礼儀正しいというか、他者に対していつも“かしこまり”気味の性格のせいだとは思うのだが、信じているという割には神さまと自分との間に距離があるように感じている。それもだいぶ離れ… 続きを読む »