泣き虫の逆襲[The Revenge of the Crybaby]
大人になってから、泣くことがすっかりなくなった。小さな頃はよく泣いていたような記憶がある。泣きたくないから、早く大人になりたかった。泣き顔を見せるのは嫌だったし、幼心に屈辱を感じていた。自分の弱さが露呈するようで、本当… 続きを読む »
大人になってから、泣くことがすっかりなくなった。小さな頃はよく泣いていたような記憶がある。泣きたくないから、早く大人になりたかった。泣き顔を見せるのは嫌だったし、幼心に屈辱を感じていた。自分の弱さが露呈するようで、本当… 続きを読む »
「まだそんなことで躓いているのか?!」と誰かに怒られそうなのだが、自分のあり方について悩んでいる。もう少し詳しく言うと、クリスチャンとして神さまの御心に沿った立ち方とはどんなものだろうと迷っている。 誰からも良い人に見… 続きを読む »
私は正義感が強くて、自分だけではなく他人に対しても、“こうあるべきだ”という思いが強い。一度そう思ってしまうと、その人たちを何とかして“私が思う”あるべき方向へ向かせようとしてきた。余りにも言うことをきかない人たちには… 続きを読む »
感覚の違いというのは絶対的にあって、私が確信に近いような自信を持ち、「これは間違いない!」と思えることでも、全く分かち合えない考え方をする人たちがいる。冷静に考えれば、人それぞれ考えが違って当然なのだろうが、私はその違… 続きを読む »
私がいつも唱えている「主の祈り」という祈り言葉がある。私の場合、食事をとる直前には必ず唱え、また日曜日の礼拝では全員で声を出して祈る。その他にも、決まったシチュエーションでということではなく、何かあると口ぐせのようにい… 続きを読む »
私はあまり忙しいのは好きではなくて、どちらかと言えば一人でゆっくりしていたい。年齢と共に活動的でなくなっていることも否めない。でもやっぱり外に出て行って、人と人との間で活動した方が、結果的に充実な時間を過ごせると思う。… 続きを読む »
神さまはどんなことがあっても私の味方でいてくれる。決して私を裏切りはしない。だから安心して自分の身を任せられる。その事はとても有り難いことで、いつも支えられていると感じることができるのだが、私はそのことに甘えているよう… 続きを読む »
「神さまのために生きる」という生き方を考える時、私にはどうしてもしっくりこない部分がある。クリスチャンとして、本来ならばそこに引っかかってはマズいのだろうか。やはり神さまがお喜びになるように生きなければならないのだろう… 続きを読む »
洗礼を受けて皆さんから祝福してもらい、直後の信仰告白も、原稿を一生懸命に集中して書けたからなのか、「良かった、感動した」などと声を掛けてもらった。年も押し迫って、本当に嬉しい気持ちでいっぱいで、喜びのうちに一年を締めく… 続きを読む »
「感情」が私を動かしている。「やりたくない」とか、「やっていて楽しい」とか、自然と湧き出る感情によって、私は自然と身の振り方を決めていた。仕事上、やりたくないことでもしなければならない状況は多い。そういうビジネス的な動… 続きを読む »