繋がり拡がり

投稿者: | 2021-10-12

 人を通して学ぶということがあると思う。具体的に紹介されてという意味では無く、例えば旧友が証券会社に勤めていると聞いてから、普段のニュースや新聞などで株の話題が取り上げられると、何となく気になってググってみたりする。それまで金融の世界には全く縁が無かったのだけれども、その旧友を通して少し距離が縮まり、興味を持って関連記事を読んだりすることがある。ちょっと世界が拡がるわけだ。
 例えば大嫌いな数学の授業も何となく担当の先生と気が合って、先生とたまに話をしたりして仲良くなっていく内に、気がつくと数学の勉強を頑張っている自分がいたりする。反対に先生が嫌いで見返すために必死にテスト勉強するような場合もあるかと思う。いずれにしても「先生」という「人」がきっかけで動き出す。私にとって、良くも悪くも「人」の影響は大きい。

 人に興味があるんだと思う。大学で心理学を専攻したことでも分かるように、私は人の心に関心があるんだと思う。だから話を聴くにしても、その話し手の方にはぜひ本心を話して欲しい。本当に何を考えているのかを知りたい。技術とか知識などを語るのもいいが、もしかして他の誰かでも話せる内容ではなく、その方のオリジナルの経験を聴きたい。そうしてくれないとその人の心には迫れない。
 自分のことを話すのは、私にとってもそうだが、なかなかに勇気が要る作業だとは思う。辛い思い出や罪を告白するようなことはできればやりたくない。そんなことを吐露すれば見下されたり、仲間外れにされたりする危険性が高まってしまう。やらない方が無難だ。でもその境目に他者と分かり合えるチャンスがあるのかと思う。

 どうだろう、私は厳しい経験を誰かに話してもらって、嫌だなと思ったことはあまりないように思う。その人との関係性の濃淡にもよるが、苦しみを打ち明けてもらって「こいつ、とんでもねぇな~」なんて、ちょっとあり得ない。「よく話してくれたな~、何とかして助けなきゃ」みたいなことの方が多かったように思う。そうなってくると絆が深まってくるのではないか。単なる上辺だけでなく、そういうお付き合いをたくさん築くことが一つ幸せを感じられるポイントかなと思う。やっぱり「できることなら助けてあげたい」って思うのは、お節介に思う人がいるかもしれないけれど、私は素晴らしいことだと思う。だってせっかく頼ってきてくれたんだから。

 「自分を掘り下げている深度でしか他者を理解できない」と恩師が言った。せっかく誰かが心を開いて話してくれたとしても、私がそれを理解して受け止められなければ、やっぱり寂しいし申し訳がない。背伸びして無理する必要はないけれども、何とか力になって差し上げたいと思うのは当然だろう。それをするには自分の心と常に向き合い続けなければならないという教えだ。「人を深く理解するためには自分を深める」。そうすることで、逃げてばかりいないで、私が他者に心を開いて接することができる人間になれるようにも思う。頼るばかりではなく、高め合い支え合いながらの関係が、きっと一人一人を成長させてくれる。

 心を開ける人って、カッコいいよね~

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