心が通い合う場所[A place where hearts are in harmony]
学校や職場等で、単に「一緒にいた」というだけでなく、共に何かに取り組んだ間柄だとやはり結びつきが強くなる。私の場合、例えばクラスメイトより部活動で一緒だった仲間の方が思い入れは強く、また交流が少ない職場の同僚よりも一緒… 続きを読む »
学校や職場等で、単に「一緒にいた」というだけでなく、共に何かに取り組んだ間柄だとやはり結びつきが強くなる。私の場合、例えばクラスメイトより部活動で一緒だった仲間の方が思い入れは強く、また交流が少ない職場の同僚よりも一緒… 続きを読む »
一人でいる時間が長いと、いろいろ考え過ぎてしまうんだろうと思う。このブログもそうだが、ボランティアも含めた“作業”については、一人で静かに集中してやらないとできない部分があるので、絶対に一人の時間は必要だ。本を読むにし… 続きを読む »
身の回りに起こること全てに責任を持たなくて良いのに、私はどうしてもお節介を焼きたがるというか、余計なことにまで首を突っ込みたがる傾向がある。歳を取って、随分とその傾向は和らいできたと思うが、それでも時折り顔を出してくる… 続きを読む »
キリスト教の教会へまた通い始めたことが大きいのだが、コロナ禍が終わったせいも助けて、人との交流の機会が増えてきた。家に一人で籠っていないで積極的に人と接しようと心がけていると、不思議とお誘いが増えてくる。本当にありがた… 続きを読む »
私は仕事の他にボランティア活動をしている。内容を簡単に言えば、弱い立場の人たちを助けようとする活動だ。ある団体がこの活動を運営していて、私はそのメンバーの一人として奉仕しているわけだが、運営側から私たち活動員が強いられ… 続きを読む »
「新年のあいさつ回り」というのがある。私の職場で働いている人たち約40人が、正月休みが明けて最初の会議の時に顔を合わせ、一斉に「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」という挨拶を交わし合う。しかし… 続きを読む »
起こった出来事や物事について考える時、「その時、どう思ったか」という自分の正直な気持ちを捉え、それを出発点として考え始める。時にその気持ちが邪悪なものだったり嫉妬心にまみれていたり、そういう感情をなぜ抱いてしまうのかと… 続きを読む »
洗礼を受けてまだ間もないので、私に何かしらの変化が表れてくるとしたらこれからだと思う。今は「ここが変わった」というハッキリとした感覚はないのだが、何となく、「この人の考え方を変えたい」とか、「あの人は間違っている」とい… 続きを読む »
少し疲れた。洗礼を受け、正式にクリスチャンとなった今の正直な気持ちだ。聖水を頭にかけられた時は本当に心が動き、こみ上げてくるものをグッと堪えていた。その後すぐに信仰告白を参列者の前で述べなければならないという事で、我に… 続きを読む »
どこまで関わったら「親切」で、どこから先が「お節介」になるのだろう。何かの出来事があって、当事者でもないのに首を突っ込みすぎたら、返って迷惑になることがある。でも助けにはなりたいし、私はどの辺で関わりを止めればいいのか… 続きを読む »