あなたと私[You and I]
私が自分の嫌いなところの一つに、人を見かけで判断してしまうことがある。「この人は、恐らくああいう人だな」というような感じで、話したこともない人の性格を勝手に決めつけてしまう。長年付き合ってきた悪習というか、癖みたいなも… 続きを読む »
私が自分の嫌いなところの一つに、人を見かけで判断してしまうことがある。「この人は、恐らくああいう人だな」というような感じで、話したこともない人の性格を勝手に決めつけてしまう。長年付き合ってきた悪習というか、癖みたいなも… 続きを読む »
私は毎日のお祈りの中で、まず今日も神さまから命を与えられたことに感謝する。ともすると、何もしなくても次の朝が与えられることを当たり前のように感じてしまい、神さまの恵みを忘れてしまう。そうならないためにも、毎日訪れるこの… 続きを読む »
結局は自分自身との闘いのなのだろう。気に食わない嫌いな人たちも、ついつい見下してしまうグループ内の仲間たちも、私なのだ。一人一人が、私が認めたくない私、私が大嫌いな私の、化身なのだと思う。その人たちとどうやって共に生き… 続きを読む »
私は知識も教養も足りなければ、肝心なキリスト教に対する理解も浅い。こんな状態では「クリスチャンです」などと他人に言う事が恥ずかしい。もっと勉強しなければならないし、何よりももっと聖書を繰り返し読まなければと思っている。… 続きを読む »
知り合いでも友達でも、或いは初めて会ったような人でも、私はそれぞれの人に対してイメージを持つ。家族であってもそうだろう。言葉は交わさずとも、その人が醸し出す雰囲気が何らかの印象を私に与える。年齢や性別、表情や所作、目つ… 続きを読む »
ビジネスでもボランティアでも仕事をする上で、私は他人を信用することが苦手かもしれない。お願いしたことをやってくれたらラッキーに思うくらいで、他人に期待はできない。私が信用を置ける人たちは本当に限られている。信用できない… 続きを読む »
若いときは、「あの時ああしていれば良かった」などと後悔して、いつまでも前を向けないことが多かったように思う。今でもなくはないが、「過去のことを後悔しても仕方がない」という気持ちの方が支配的だ。むしろ「やっとここまで来ら… 続きを読む »
私はあまり人付き合いが得意な方ではないと、自分では思っている。人見知りをし、初対面の方にはなかなかな自分から話しかけられない。しかしそれが最近変わりつつあるのかもしれない。 昨年末のクリスマスに洗礼を受け、クリスチャン… 続きを読む »
私は独り善がりの考え方に陥りがちで、周りが見えなくなることが多い。切羽詰まってきたときほど、そういう傾向が強くなる。本当は逆で、窮地の時こそ冷静に振る舞いたいものだが、なかなかそうカッコ良くはいかない。相対的なものの考… 続きを読む »
学校や職場等で、単に「一緒にいた」というだけでなく、共に何かに取り組んだ間柄だとやはり結びつきが強くなる。私の場合、例えばクラスメイトより部活動で一緒だった仲間の方が思い入れは強く、また交流が少ない職場の同僚よりも一緒… 続きを読む »