苛立ちと信仰[Irritation and Faith]
私は自分を本当にわがままな人間だと思う。本気でやる気にならない限り、何もやらない。勉強もしない。本も読まない。掃除も仕事もしない。必要に迫られて仕方なくやることはあったとしても、実際にはやらされているだけで、知識として… 続きを読む »
私は自分を本当にわがままな人間だと思う。本気でやる気にならない限り、何もやらない。勉強もしない。本も読まない。掃除も仕事もしない。必要に迫られて仕方なくやることはあったとしても、実際にはやらされているだけで、知識として… 続きを読む »
聖書の中で、特に旧約聖書を読んでいると「偶像」という言葉をよく目にする。キリスト教にあって「偶像礼拝」とは、神さま以外の何か他のものを信仰の対象とすることだ。聖書の物語と今の日本を比べると時代も文化的な背景も全く異なり… 続きを読む »
昨年のクリスマスに洗礼を受け、クリスチャンになってから早一年が経とうとしている。改めて月日が流れる早さに驚愕する。本当に一年も経ったのだろうか。事あるごとに、自分の中にかすかな変化を感じつつも、「ここが変わった」と断言… 続きを読む »
以前から、咄嗟に湧き出てくる感情はなかなかコントロールできないと書いてきた。怒ったり妬んだりしてしまうのは、それが罪だと分かっているつもりでも、そういう感情を抱くこと自体を抑えることは極めて難しい。抱いてしまった後、し… 続きを読む »
人と人との交流の厚みみたいなものが薄くなってきているように感じる。私が幼い頃と比べれば、それは歴然としている。昔は隣近所と良くも悪くももっと距離が近く、盛んに交流していた。そしていわゆる“ご近所の評判”が悪くならないよ… 続きを読む »
ビジネスでもボランティアでも仕事をする上で、私は他人を信用することが苦手かもしれない。お願いしたことをやってくれたらラッキーに思うくらいで、他人に期待はできない。私が信用を置ける人たちは本当に限られている。信用できない… 続きを読む »
「信頼」と「信用」ということについて考えてみたい。辞書によると、信頼は「信じて頼ること」、信用は「信じて用いること」とある。微妙な違いで掴みにくい。他にも、信頼は主観的にその人を信じられると思った時に使い、信用はその人… 続きを読む »
人間、生きていればそれなりにいろいろある。一見何の苦労もなく、のほほんと生きているように見える人でも、それなりに必ずあったはずだ。高齢の方なんかは、長く生きているだけでも凄いと思う。いろいろある人生を長く生きてきたわけ… 続きを読む »
どうしても気が合わないというか、苦手な人がいる。「愛を以て、愛を以て」と心の中で唱えながら接しようとするけれど、上手くいかない。むしろ接するほど嫌いになってしまう。「自分が変わらなければ、相手は変わってくれない」とは言… 続きを読む »
私が考えることは、いつもいわゆる正論だと思う。人間は、「こうあるべき」とか「そうでなければいけない」等と、大義名分を振りかざして誰も反論できないように、主にこのブログ上に書き記す。 正論だけで世の中が動かせるとは全く思… 続きを読む »