主のいる場所[The place where the Lord is]
「神観」という言葉があると思うが、その意味の捉え方については人によって様々あるようだ。今日この場では、「神さまの捉え方」という意味で使わせてもらいたいと思う。私の気持ちを表現するために、他に良い言葉が見つけられないから… 続きを読む »
「神観」という言葉があると思うが、その意味の捉え方については人によって様々あるようだ。今日この場では、「神さまの捉え方」という意味で使わせてもらいたいと思う。私の気持ちを表現するために、他に良い言葉が見つけられないから… 続きを読む »
今日の主日礼拝での説教は、牧師先生が聞いたらちょっと端折り過ぎていると言われてしまうかもしれないが、「自我を殺しなさい」というイエス様の教えが主題だったかと思う。自分に対して他者が罪を犯し、憤りを感じたり、深く傷つけら… 続きを読む »
キリスト教に入信してから今年のクリスマスで丸2年が経とうとしている。この2年弱の間に私に与えられたほとんど全ての機会、つまり祈祷会や聖書研究会、ボランティア、信仰修養会等々、キリスト教に関連する集会であれば多少の無理を… 続きを読む »
間違いなく手先は不器用なんだけれど、私は何でも出来るようなフリが上手いのか、何かと頼まれごとをする事が多い。サラリーマンを辞めて独立してから、何でもやらないと食べていけなかった時代が4~5年続き、それなりに処世術を身に… 続きを読む »
私は昔から隠れて努力することができなかった。少年野球をやっていた頃は、例えば家に帰ってから一人で素振りをするとか、グローブの手入れをするとか、筋力トレーニングをするとか、チームメイトと一緒にならできる事が一人ではする気… 続きを読む »
異性を求めるいわゆる恋愛感情というものがあって、私も若い頃は女性のことばかり考えていたものだ。他の人と比べてみようがないけれど、自分で思うに、私は異性に対する執着心というのか、求める欲求は相当に強いものがあったと思う。… 続きを読む »
聖書研究会のお陰で聖書への理解が進むにつれ、私は神さまとの距離が縮まってきているように感じ始めていた。「神さまを信じられる」という自信みたいなものがついてきていたように思う。 そんな時、私は「教会」に興味を持つようにな… 続きを読む »
私は今57歳で、40年ほど前は高校1年生だった。私の高校はプロテスタント系のキリスト教の考え方を教育の基本に据えた、いわゆるミッションスクールだった。私は第1志望の公立高校に受験で失敗し、仕方なくそのミッション高校へ入… 続きを読む »
残念ながら、私は“取り柄”がない。言われたことは真面目によくやるし、それが私の取り柄と言えばそうなのかもしれないが、人に誇れるような知識や能力はない。誰かのために役に立ちたいと思うけれど、何につけてもちょっと力不足だ。… 続きを読む »
キリスト教における“業界用語”のような言葉になるのだろうか、「証し」というものがある。自分が如何にしてキリスト教に導かれていったかという経緯と、それに伴った気持ちの変化などをお話することを「証しをする」と言う。信仰生活… 続きを読む »