野球のように[Like Baseball.]
小学4年生から野球を始めて、それはもう夢中になって取り組んだ。余計なことを考えずに、ただ楽しいと思えることに没頭した。当時の私から野球を取ったら何も残らなかっただろう。中学に入ってからも野球を続け、中学2年生くらいまで… 続きを読む »
小学4年生から野球を始めて、それはもう夢中になって取り組んだ。余計なことを考えずに、ただ楽しいと思えることに没頭した。当時の私から野球を取ったら何も残らなかっただろう。中学に入ってからも野球を続け、中学2年生くらいまで… 続きを読む »
私は若い頃から、自分で経験したことしか、胸を張って他人に言えないと思っていた。経験に勝るものはないと。だから大学へ行くというのはほとんど口実で、実際に首都で生活してみたかったから東京の大学へ行かせてもらったり、その後カ… 続きを読む »
私は基本的に企業や学校などのPRビデオ制作を生業としている。その中で私のメインの仕事はクライアントから仕事をもらってくること。受注できたら顧客の要望を聞きつつ、必要なそれぞれの分野のスペシャリストに仕事を振って、ビデオ… 続きを読む »
私は知識も教養も足りなければ、肝心なキリスト教に対する理解も浅い。こんな状態では「クリスチャンです」などと他人に言う事が恥ずかしい。もっと勉強しなければならないし、何よりももっと聖書を繰り返し読まなければと思っている。… 続きを読む »
お祈りをし、聖書を読み、お祈りの本を読む。一応このルーティーンを日々の日課にしようと目指している。こう言うと敬虔に信仰生活を送っているように聞こえるかもしれない。もちろん何もしないよりは遥かに良い。しかしふと思ったのは… 続きを読む »
嬉しいときや喜びを感じるとき、また心が動かされ感動しているような心地良い心理状態でいられるときがある。その“とき”は人生が進むにつれて、変わっていった。かつては、私が没頭していた野球の試合で勝ったり負けたり、或いは学校… 続きを読む »
私の思うことや考えていること、また経験してきたことが他の人たちにも通じるとは限らない。「私がこう思うから、あの人たちもきっと同じように考えている」と思い込むことには無理がある。 時には政治家のように、そういった強引な手… 続きを読む »
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1章31節) 私はキリスト教の神さまを信じている。信じるに至るまでにはかなり時間がかかったし… 続きを読む »
自分でコントロール出来る事柄は、この世にどれくらいあるのだろう。自分がこうなりたいとか、こうしたいと思ったことを実現した人はどのくらい居るのだろう。夢が叶ったような人々は実在する。オリンピックで金メダルを獲得したような… 続きを読む »
知り合いでも友達でも、或いは初めて会ったような人でも、私はそれぞれの人に対してイメージを持つ。家族であってもそうだろう。言葉は交わさずとも、その人が醸し出す雰囲気が何らかの印象を私に与える。年齢や性別、表情や所作、目つ… 続きを読む »