Good Memory
私は映画監督になることを目指し、30年前にカナダに渡った。日本で映像制作の仕方を学んだわけでも、そういう業界で働いた経験があるわけでもなかった。映画監督になる夢を叶えるためには、実際の現場に飛び込むことが一番の近道だろ… 続きを読む »
私は映画監督になることを目指し、30年前にカナダに渡った。日本で映像制作の仕方を学んだわけでも、そういう業界で働いた経験があるわけでもなかった。映画監督になる夢を叶えるためには、実際の現場に飛び込むことが一番の近道だろ… 続きを読む »
喜びを教えてくれた神さまとイエス様に感謝して生きる生き方を知った。私の喜びは御心に沿って尽力できたと、自分で思えたときにやってくる。怠惰な自分に寄り切られ、虚しさに押し潰されてしまうことを拒絶するのだ。そうすることで勝… 続きを読む »
どんな時が一番嬉しいかを考える。幸せを感じられるとき。良かったな~と思えるとき。結論から言えば、今は「自分に勝ったとき」と言えるのかもしれない。怠けたい気持ちを制御して、やるべき事をできたとき。やらなければと思い立った… 続きを読む »
私には一人娘がいる。本当に愛していると思う。彼女が現れるまでは、私は本当の愛を知らなかったのかもしれない。この世で何が“本当”なのか、まだ分かっていない未熟な私だが、私が知る限り、私の娘への気持ちが愛だと思う。私の魂が… 続きを読む »
私には愛が足りないのではないか。他人を思いやる気持ちというか、いつの間にか他人に対して無関心になってしまったように感じる。かつてはもっと人情に厚く、自分と他者との間にある壁が、今よりもずっと低く薄かったように思う。クリ… 続きを読む »
主にあって、罪を犯すことは悪い事。悔い改めて、明日は同じ失敗を繰り返さないように努めることがクリスチャンには求められていると思う。一方で、私たちは神さまから試練を授かり、これを乗り越えようとすることで自分を磨き、また成… 続きを読む »
感覚の違いというのは絶対的にあって、私が確信に近いような自信を持ち、「これは間違いない!」と思えることでも、全く分かち合えない考え方をする人たちがいる。冷静に考えれば、人それぞれ考えが違って当然なのだろうが、私はその違… 続きを読む »
どうしても私は人を裁いてしまう。私の理想の身の振舞い方というものがあって、そこから逸脱している人を見ると、見限ってしまう。自分でも己の理想通りに行動できているわけでは全くないのにだ。つまり私には寛容さが足りない。私の思… 続きを読む »
昔読んだ本でも、何年か後にまた読み返してみると新しい事に気づくことがある。同じ本なのに、私が変化しているのだとしみじみ思う。それまでは素通りしていた箇所が気になって仕方がなくなり、そうなると翻って、私は本当に物事を知ら… 続きを読む »
人間は常に、そして永遠に間違いを犯し続ける生き物なのだと思う。それはその人が劣っているからとか、忍耐力がないからとかということではなく、私は神さまがそのように人間をお造りになったのだと思っている。人間は、良くも悪くも問… 続きを読む »