内的な永遠の課題[Internal Eternal Problem]
人を平等に扱うことは当たり前の事なのだろうが、私には難しい。自分では誰にでも分け隔てなく同じように接しているつもりでも、知らぬ間に差別してしまっていることに気づく。一体私は自分を何様だと思っているのだろう。自分の評価に… 続きを読む »
人を平等に扱うことは当たり前の事なのだろうが、私には難しい。自分では誰にでも分け隔てなく同じように接しているつもりでも、知らぬ間に差別してしまっていることに気づく。一体私は自分を何様だと思っているのだろう。自分の評価に… 続きを読む »
キリスト教において「三位一体」という考え方がある。私はそれを、簡単に言えば「神さま」、「イエス様」、「聖霊」の三つは一体であるというように捉えている。洗礼を受けて1年半の私は、キリスト教についての様々な教えを現在勉強し… 続きを読む »
キリスト教や信仰のことは少し横に置いておいて、私自身の存在を客観的に見ると、残念ながら実際の力量も、経験も、実績も、何もかもが足りない。いわゆる社会的な価値は低い人間だと思う。それが証拠に、誰も重要な役割を私に任せよう… 続きを読む »
キリスト教の神さまを信じて私は生きている。私の礼儀正しいというか、他者に対していつも“かしこまり”気味の性格のせいだとは思うのだが、信じているという割には神さまと自分との間に距離があるように感じている。それもだいぶ離れ… 続きを読む »
今日は久しぶりに丸一日オフになった。オフと言ってもこのブログを書かなければならないので、何もしなくて良いという事にはならない。しかし反対にブログさえ書いてしまえばそれでOKという日なわけで、随分と気が楽だ。ここ数年、こ… 続きを読む »
旧約聖書を読んでいると、様々な人物が登場し、様々な物語が記されていることが分かる。起こった事実が書かれていて、いわゆる歴史書としての役割もあると聞いている。ただ私は、それだけでなく、人間の愚かさが説かれているような印象… 続きを読む »
「自分を捨てる」、「感情を捨てる」としようとしたときに、怒りや嫉妬の感情は比較的すぐに捨てることができるように感じる。覚悟を決めてしまえば、割りと容易く諦められる。しかし自分でも意外だったのは、「怠ける心」。これがなか… 続きを読む »
「自分を捨てる」ということは、主に自分の欲求を捨てるという事になるかと思う。無欲でいられることは私の望むところだが、それと同時に「自分の感情も捨てる」ということにもなるのだと考えている。怒りや悔しさ、嫉妬のなどの感情を… 続きを読む »
今日の夕方に起きた小さな出来事。本当にちっぽけなことで、正直どうでもよかったのだけれど、私には判断がつかず、真面目な私としてはどうしても上司にお伺いを立てなければならない案件があった。数分で終わるような相談事だったので… 続きを読む »
つい先日も書いたが、キリスト教には「証しをする」ということがあって、自分がどのようにして受洗するに至ったかという過程を話す機会がある。人によって様々な経緯を経てクリスチャンになって行くわけで、誰かと同じ理由で洗礼を受け… 続きを読む »