農夫とぶどうの木と私[The Farmer, the Vine, and Me]
ヨハネによる福音書の15章の前半では、神さまとイエス様と人間の関係について、非常に分かりやすい表現で記されている。私にとっては本当にしっくりくるたとえ話だ。神さまはぶどうの木を世話する農夫で、イエス様はぶどうの木。そし… 続きを読む »
ヨハネによる福音書の15章の前半では、神さまとイエス様と人間の関係について、非常に分かりやすい表現で記されている。私にとっては本当にしっくりくるたとえ話だ。神さまはぶどうの木を世話する農夫で、イエス様はぶどうの木。そし… 続きを読む »
今日はショックなことがあった。お客様から契約していた仕事をキャンセルされてしまった。一年かけて完成させる予定だった仕事で、それなりに売上も見込めていた。もう取りかかっているのにまさかキャンセルされるとは思ってもみなかっ… 続きを読む »
私は自分の欠点として、失敗ばかりのこれまでの人生だったにもかかわらず、ちょっと事が上手く運んだようなことがあると、“いい気”になってしまう。たまたま巡ってきた成功体験を、落ち着いて次に活かすような糧にできれば良いのだが… 続きを読む »
今日は私が通っているキリスト教教会の礼拝で、司会を務めさせてもらった。大きな失敗もなく、何とか無事に役目を果たすことができたようでホッとしている。私の教会は本当に小さな教会で、その日によって人数は異なるが、大体15名く… 続きを読む »
今日、私がこうして生かされて、命を紡いでいることも、間違いなく奇跡である。少なくとも私はそう信じている。だがしかし、このかけがえのない奇跡を、私は日々の生活の中で軽んじてしまう。いつも神さまとイエス様のことを忘れず、感… 続きを読む »
キリスト教の主なる神さまに全てを委ねて、これから生きてゆきたいと本当に思っていると思っている。自分を捨て、主に従って生きるより他に道はない。聖書にそう書いてある。だがしかし、私は本気で自分を捨てようと思っているのだろう… 続きを読む »
私は主に愛されている。主は無条件に私を愛してくださる。そのことを私は知らなかった。全く感じられなかったし、目に見えず、存在しているかどうかもよく分からない方から愛されていると言われても、にわかには信じることができなかっ… 続きを読む »
怠けたい自分が間違いなく私の中にいる。真面目になれないと言うか、わがままで自分勝手で、自分ではコントロールできない自分。或いは時に、何を求めているのか分からなくなる謎の自分。そういう私自身との長い孤独な闘いが、私のこれ… 続きを読む »
みんなの前で祈る時、私はどのような言葉を発すれば良いのか迷う。主なる神様に真っ直ぐに向き合い、心に浮かぶ素直な言葉を自然と口にできるように努めるが、上手くいかない。お祈りの最中に言葉に詰まったり、何を言っているのか自分… 続きを読む »
洗礼を受けてから早一年半が経とうとしている。私は「信仰」というものが何なのか分からないまま受洗した。本当はそれではダメで、しっかり信仰を自分の中にもってからクリスチャンにならなければなかったのかもしれないが、すでにこう… 続きを読む »