聖霊の導き、再び[The Holy Spirit’s Guidance, Once Again]
職場の同僚たちにはまだ話していないが、それ以外の友人などに「仕事を辞めて神学校に入りたい」と言うと、誰もが祝福してくれる。私がいなくなる寂しさを嘆いてくれた人もいたけれど、反対する意見は皆無だ。私にとっては経済的な問題… 続きを読む »
職場の同僚たちにはまだ話していないが、それ以外の友人などに「仕事を辞めて神学校に入りたい」と言うと、誰もが祝福してくれる。私がいなくなる寂しさを嘆いてくれた人もいたけれど、反対する意見は皆無だ。私にとっては経済的な問題… 続きを読む »
自分が無意識に話していたり、お祈りする時にふと浮かんだりする言葉やフレーズを改めて捉え直してみる。するとそれが元々自分で考えた内容では無く、以前に誰かから教わったり講演でなどで聴いたりした、いわゆる“受け売り”が多いこ… 続きを読む »
私が通っている教会では月に一度「伝道礼拝」と称し、信徒が一人ずつ兄弟姉妹たちの前で証しをするということをやっている。小さな教会で教会員の数が少なく、1年半くらいで、もう順番が回ってきてしまう。実は先日の礼拝で私の順番が… 続きを読む »
私がキリスト教の洗礼を受けるに至った経緯は、話せば長くなる。そこを無理やりに一言で言ってしまうと、私が償いようのない罪を犯してしまい、精神的にどん底にあったときに、思ってもみなかった嬉しい出来事が起き、救われたことが要… 続きを読む »
大切な事は後から分かってくる。生きている中で様々な出来事があって、その一つ一つに意味があるのだと思っているけれど、起こってすぐには分からない。後になって、或いは何年も経ってから、何となく気づいてくる。人生とはそういうこ… 続きを読む »
私は主に愛されている。主は無条件に私を愛してくださる。そのことを私は知らなかった。全く感じられなかったし、目に見えず、存在しているかどうかもよく分からない方から愛されていると言われても、にわかには信じることができなかっ… 続きを読む »
キリスト教における“業界用語”のような言葉になるのだろうか、「証し」というものがある。自分が如何にしてキリスト教に導かれていったかという経緯と、それに伴った気持ちの変化などをお話することを「証しをする」と言う。信仰生活… 続きを読む »
命を懸けるようにして、社会の様々な問題に関わっている人たちがいる。自分の事よりも他人のために生きることができる人たち。私は、「他人事なのに、どうしてそんなに真剣になれるんだろう?」と単純に不思議に思う。私にはできない。… 続きを読む »
昨年のクリスマスに洗礼を受け、クリスチャンになってから早一年が経とうとしている。改めて月日が流れる早さに驚愕する。本当に一年も経ったのだろうか。事あるごとに、自分の中にかすかな変化を感じつつも、「ここが変わった」と断言… 続きを読む »
まだまだ精神的に安定しない私だけれど、でもまぁ随分と神さまへの思いが確かなものになってきた実感はある。急に不安になったり落ち込んだりすることは、私に一生付きまとうような気もしてきた。私の一つの特徴というか、宿命というか… 続きを読む »