愛のある交わり(その2)[Fellowship with Love (Part 2)]
頑張った甲斐があって、その意見が私の個人的な見解としては理解できるというところまでは納得してもらえた。他方で恩師は、私のその意見には賛同しかねるという事で、「人間の罪とは、少し考えたくらいで、そんな簡単に理解できるもの… 続きを読む »
頑張った甲斐があって、その意見が私の個人的な見解としては理解できるというところまでは納得してもらえた。他方で恩師は、私のその意見には賛同しかねるという事で、「人間の罪とは、少し考えたくらいで、そんな簡単に理解できるもの… 続きを読む »
私は現在57歳になり、それなりに経験も積んできた。仕事もそれなりにこなしているので、特に人から褒められるようなことはないけれど、怒られるようなこともない。 最近はパワハラと言う言葉が定着してきて、職場等で上司が部下をあ… 続きを読む »
神さまへの信仰の形は人それぞれで、私なんかはまだ信仰が自分に根付いていないと思っている。信仰とは何だろうと考えているような状態で、洗礼を受けて早一年が経とうという時期にまだそんな感じではクリスチャンとして失格なのかもし… 続きを読む »
私には愛が足りないのではないか。他人を思いやる気持ちというか、いつの間にか他人に対して無関心になってしまったように感じる。かつてはもっと人情に厚く、自分と他者との間にある壁が、今よりもずっと低く薄かったように思う。クリ… 続きを読む »
どんなに尊敬していても、或いはとても好きだと思っている人でも、深く付き合い始めると印象が変わってくる。良い方向へ変わっていけば良いのだろうが、何かと欠点が見えてしまうのが大方のケースではないだろうか。「この人は凄い人だ… 続きを読む »
どこまで関わったら「親切」で、どこから先が「お節介」になるのだろう。何かの出来事があって、当事者でもないのに首を突っ込みすぎたら、返って迷惑になることがある。でも助けにはなりたいし、私はどの辺で関わりを止めればいいのか… 続きを読む »
「この人、凄いな~」と思う人がいて、憧れたり尊敬したりする。でもそれは、その人と比べて他の人が劣っているという事ではないのだろう。人間同士を比べることはナンセンスなのだと思う。 それぞれがそれぞれに与えられた役割を果た… 続きを読む »
「自立する」ことについて。現時点での私の結論を言ってしまえば、自立するとは「神さまと私の関係を中心に据えて、生きること」になる。これがなかなかできない。 私は人と人の間でしか生きられないと思うし、そうするべきだとも思っ… 続きを読む »
カッコ良い言い方をしてみると、「魂の繋がり」と呼べるくらいの人間関係を築けたら、それは素晴らしいことだと思う。年齢や性別、或いは考え方の違いまでをも超越して、本音を言い合える間柄。そういう関係が網の目のように、たくさん… 続きを読む »
ボランティア活動している集団の中で、私がどうしても許せない出来事があった。起こってしまった事はどうにもならないが、それを引き起こした人物を許せないということ。仲が良い人を愛することは容易く、敵を愛することが、私にはでき… 続きを読む »