christianity」カテゴリーアーカイブ

十字架のナンセンス[Nonsense about the cross]

投稿者: | 2025-05-12

 つい先日も書いたが、キリスト教には「証しをする」ということがあって、自分がどのようにして受洗するに至ったかという過程を話す機会がある。人によって様々な経緯を経てクリスチャンになって行くわけで、誰かと同じ理由で洗礼を受け… 続きを読む »

自分の言葉になる[in your own words]

投稿者: | 2025-05-11

 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコによる福音書8章34節) 聖書という書物は少し大袈裟に言えば、読むたびに印象が変わる本で、自分の中の何かに引っかかる部分が毎… 続きを読む »

感謝する感動[Gratitude]

投稿者: | 2025-05-10

 与えられているものや環境、健康などに本当に感謝できるようになってきた。それは単に年齢を重ねたことだけが理由とは思えない。聖書を読み、キリスト教の学びを深めてゆく中で、それまではあって当たり前のように思っていたことが、本… 続きを読む »

イエスの約束[The Promise of Jesus]

投稿者: | 2025-05-09

 何かの出来事やきっかけがあって、こう思うとか、ああ感じるようになったとかという事ではなく、私の心の中には慢性的に、「認められたい」という欲求があるのだと思う。それも相当に強い欲求のようだ。普段はそのような感情があること… 続きを読む »

独り善がりからの脱却[Escape from self-righteousness]

投稿者: | 2025-05-08

 仕事でもボランティアでも何においても、一生懸命に頑張ったのに、人から分かってもらえない、自分の努力が伝わらないということが起きる。そんな時私は本当にやるせない気持ちになる。「こんなに頑張ったのに、どうして誰も分かってく… 続きを読む »

証しの神髄[The Essence of Testimony]

投稿者: | 2025-05-07

 キリスト教における“業界用語”のような言葉になるのだろうか、「証し」というものがある。自分が如何にしてキリスト教に導かれていったかという経緯と、それに伴った気持ちの変化などをお話することを「証しをする」と言う。信仰生活… 続きを読む »

真の幸せを求めて[In Search of True Happiness]

投稿者: | 2025-05-06

 いろいろな経験をする中で、神さまに導かれたり、感動したり、或いは逆に悲しみに沈んだり、怒りに我を忘れたりすることがある。そう言ったある程度大きな心の動きがあった時だけでなく、本当に些細な心の変化や新しい感情が湧き上がっ… 続きを読む »

最近の野望[Recent Ambitions]

投稿者: | 2025-05-02

 いくつになっても、人間関係の構築・維持は難しい。当たり障りのない浅い関係で良いのであれば、単なる職場の同僚のように、相手の出方を窺いながらバランスを取ることはできる。“大人”としての当然の立ち振る舞いだろう。 しかし付… 続きを読む »

距離感[Sense of Distance]

投稿者: | 2025-04-29

 私が理想的だと思うのは、神さまの事を考えている時が、私にとっての安らぎの一時であること。神さまと一緒にいられる時が、一番心が休まるときでありたいというか、そうでなければダメなのではないかと思う。しかし残念ながら、そうは… 続きを読む »

追い詰められて[Cornered]

投稿者: | 2025-04-28

 大勢の面前で、自分が感じた何かを本気で伝えようとすることは、大変な作業だ。別に私のことを誰かに伝える必要はなく、わざわざそんな大変なことをやらなくても、誰からも文句は言われない。避けて通ったとしても普通に生きていける。… 続きを読む »