受け止める側の責任[Responsibility of the Receiver]
一人一人に真実があるのだと思う。私の真実と誰かの真実を比べれば、もしかしたらすごく似ている部分があるかもしれないし、全く相容れない性質のものかもしれない。それで良くて、それが当然なのだろうと思う。それが今流行っている「… 続きを読む »
一人一人に真実があるのだと思う。私の真実と誰かの真実を比べれば、もしかしたらすごく似ている部分があるかもしれないし、全く相容れない性質のものかもしれない。それで良くて、それが当然なのだろうと思う。それが今流行っている「… 続きを読む »
私が生活していて一番幸せを感じられる瞬間というのは、誰かの役に立てたと実感できた時だ。例えばボランティアをして、その働きに対してお礼の言葉をもらったり、笑顔になれるお手伝いができたりしたときは本当に嬉しい。身近にいる家… 続きを読む »
私は自分に自信がない。他人に誇れる実績みたいなものも何もない。でも何の因果か私を頼ってくれる人がいたときに、誠意をもって対応できる人間でありたいと思う。頼りがいがある人間である必要は必ずしもないと思っていて、偶然なのか… 続きを読む »
30年近く前にカナダのトロント市に住んでいた頃は、地元で祖母がまだ生きていた。異国で奮闘しているだろう孫の私を心配して、精神的にも経済的にも支援してくれていた。私は小さい頃は“おばあちゃん子”だったので、大学に入るため… 続きを読む »
「愛と尊敬を抱いて、人と接する」。今日はこれが一番言いたい。そうやって他者に寄り添いながら接していく過程で、決して相手に迎合せず、固定概念に囚われず、事実だけを捉えてゆく。それがいつも自然とできる人間になりたい。自分の… 続きを読む »
「バケツ理論」という言葉がある。同じバケツ理論でもいくつか種類があるようで、経済学でも使われることがあるようだが、今日は精神的な意味で使うときに用いる言葉として取り上げてみたい。恐らく誰かが作った造語だと思う。 自分… 続きを読む »
でるだけ多くの人と関わりたい自分と、そうでない自分がどちらもしっかり存在していて、訳が分からない。私は一体どうしたいのだろうか。「人と関わる」という言葉は私の中で、それほど軽い意味のものではない。“目が合えば挨拶する”… 続きを読む »
私は基本的に教えられたことに対して従順な性格だからかもしれないが、小さな頃、年齢の1歳差は大きかった。2歳下の妹に対して私には絶対的な権力があったし、小学校などでも1学年違うだけで、上の学年の児童たちはえらく年上に感じ… 続きを読む »
代わり映えのしない「日常」を維持することが、もしかしたら一番大変で尊いことなのかもしれない。「夢や希望を掴むんだ!」と派手な“非日常”に思いを馳せてはみるけれど、それは日常の生活基盤が整っているからこそ望むことができる… 続きを読む »
自分の意見・主張があって、それを表現することは「自由」ということになっていると思う。日本を含めて、少なくともいわゆる「民主主義の国」と呼ばれている国々においては。同様にして、誰かの意見に対して同意するも異議を唱えるも、… 続きを読む »