心の叫び[Cry of the Heart]
キリスト教や信仰のことは少し横に置いておいて、私自身の存在を客観的に見ると、残念ながら実際の力量も、経験も、実績も、何もかもが足りない。いわゆる社会的な価値は低い人間だと思う。それが証拠に、誰も重要な役割を私に任せよう… 続きを読む »
キリスト教や信仰のことは少し横に置いておいて、私自身の存在を客観的に見ると、残念ながら実際の力量も、経験も、実績も、何もかもが足りない。いわゆる社会的な価値は低い人間だと思う。それが証拠に、誰も重要な役割を私に任せよう… 続きを読む »
「自分を捨てる」、「感情を捨てる」としようとしたときに、怒りや嫉妬の感情は比較的すぐに捨てることができるように感じる。覚悟を決めてしまえば、割りと容易く諦められる。しかし自分でも意外だったのは、「怠ける心」。これがなか… 続きを読む »
「自分を捨てる」ということは、主に自分の欲求を捨てるという事になるかと思う。無欲でいられることは私の望むところだが、それと同時に「自分の感情も捨てる」ということにもなるのだと考えている。怒りや悔しさ、嫉妬のなどの感情を… 続きを読む »
今日の夕方に起きた小さな出来事。本当にちっぽけなことで、正直どうでもよかったのだけれど、私には判断がつかず、真面目な私としてはどうしても上司にお伺いを立てなければならない案件があった。数分で終わるような相談事だったので… 続きを読む »
つい先日も書いたが、キリスト教には「証しをする」ということがあって、自分がどのようにして受洗するに至ったかという過程を話す機会がある。人によって様々な経緯を経てクリスチャンになって行くわけで、誰かと同じ理由で洗礼を受け… 続きを読む »
キリスト教における“業界用語”のような言葉になるのだろうか、「証し」というものがある。自分が如何にしてキリスト教に導かれていったかという経緯と、それに伴った気持ちの変化などをお話することを「証しをする」と言う。信仰生活… 続きを読む »
いくつになっても、人間関係の構築・維持は難しい。当たり障りのない浅い関係で良いのであれば、単なる職場の同僚のように、相手の出方を窺いながらバランスを取ることはできる。“大人”としての当然の立ち振る舞いだろう。 しかし付… 続きを読む »
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1章31節) 神さまは御自分にかたどって人を創造された。そして人もその他の創造物と同様に、「… 続きを読む »
旧約聖書のダビデ王の時代以降、王たちは主に逆らう行いをした。ダビデの子ソロモンは晩年、他の宗教を信じる異国の女性たちと政略結婚を繰り返し、次第に偶像礼拝に染まっていった。神さまの導きに従ってさえいれば、神の完全なる庇護… 続きを読む »
旧約聖書の物語の中で、イスラエルの民からもっとも尊敬され人気があったとされるダビデ王は、常に主なる神を崇め、御心に従って生きた人だった。そして律法を守り、40年にわたって民を平和に統治した。 しかしそんな語り継がれる偉… 続きを読む »