罪と向き合い、そして[Face your sins, and then]
自分が罪人だという自覚が私にどれだけあるだろうか。教会などで私は、「私は罪人だ、罪人だ」などと謙ったように言って見せるけれど、果たしてどこまで本気で言っているのか甚だ疑問だ。私はちゃんと自分の罪を捉えているだろうか。 … 続きを読む »
自分が罪人だという自覚が私にどれだけあるだろうか。教会などで私は、「私は罪人だ、罪人だ」などと謙ったように言って見せるけれど、果たしてどこまで本気で言っているのか甚だ疑問だ。私はちゃんと自分の罪を捉えているだろうか。 … 続きを読む »
「神観」という言葉があると思うが、その意味の捉え方については人によって様々あるようだ。今日この場では、「神さまの捉え方」という意味で使わせてもらいたいと思う。私の気持ちを表現するために、他に良い言葉が見つけられないから… 続きを読む »
私は決しておしゃべりが得意な方ではない。黙っていろと言われれば、結構いつまででも黙っていられる。特に自分の事を話すのは苦手であるし、好きではない。自己紹介になるとやたらと長く話す人がいるが、よくそんなにしゃべることがあ… 続きを読む »
あの人にできて、私にはできないことがある。でも反対に私にはできてあの人にはできないことがある。どちらが偉いのだろう。どちらの方が人の役に立っているだろう。私か、或いはあの人なのか。 主の御前で、人に優劣の差はない。一人… 続きを読む »
例えば勉強をしなければいけないとか、良い子でいなければいけない、また真面目に生きなければならない等と言う「善の理想」があって、でもそれがなかなか実現できなかった。どうしてオレはちゃんとできないのだろうと悩み、答えが出な… 続きを読む »
自分が無意識に話していたり、お祈りする時にふと浮かんだりする言葉やフレーズを改めて捉え直してみる。するとそれが元々自分で考えた内容では無く、以前に誰かから教わったり講演でなどで聴いたりした、いわゆる“受け売り”が多いこ… 続きを読む »
自分を戒めようとするとき、自分と闘う。怠惰な心や欲望に屈してしまう自分の弱さと相対する。主にある正しさを具現化できる者になりたい。それは、自分の力だけで実現を目指せるものでは無いけれど、主に委ねつつ、しかし自分の頑張り… 続きを読む »
「委ねる」とか、「流れに身を任せる」というのは、どういうことなのだろう。何をする事なのだろう。或いは、何もしないことなのだろうか。それとも誰かに言われるがまま行動することを指すのか。私は自分の判断に自信が無い。自分がや… 続きを読む »
敬虔なクリスチャンの方であるとか、牧師先生に対する私の印象は、いつも真面目であるということ。「真面目」の部分に関しては、私にはけっこう真面目なタイプであると言う自負があり、誰かと比べるわけではないけれど、比較的自信のよ… 続きを読む »
私は理想が高く、プライドも高い。分かっていながらも、性分のようなものはそうそう直せるものではない。「これは、こうでなければならない」という自分への縛りが強く、理想通りに成し遂げることができない自分に失望する。そもそも大… 続きを読む »