我慢の時[Time to be Patient]
怒りっぽかったり不安症だったり、私は感情の起伏が激しい方だと思う。それはそういう性格なので仕方がないと思うのだが、最近は感情が大きく変動すること自体が恐くなってきた。できることなら、平穏なままの落ち着いた精神状態を保ち… 続きを読む »
怒りっぽかったり不安症だったり、私は感情の起伏が激しい方だと思う。それはそういう性格なので仕方がないと思うのだが、最近は感情が大きく変動すること自体が恐くなってきた。できることなら、平穏なままの落ち着いた精神状態を保ち… 続きを読む »
私は昔から子どもが好きで、自分の妹や弟はどういうわけかあまり可愛がらなかったのだが、もっとずっと年下の子どもたちの相手をしてあげるのが好きだった。小学校の高学年の時にデパートで初めて出会った幼稚園くらいの子供と仲良くな… 続きを読む »
神さまはどんなことがあっても私の味方でいてくれる。決して私を裏切りはしない。だから安心して自分の身を任せられる。その事はとても有り難いことで、いつも支えられていると感じることができるのだが、私はそのことに甘えているよう… 続きを読む »
こだわりは、どこまで捨てたら良いのだろう。私は古めかしいところがあって、昔からのしきたりや規律のようなものを重んじる傾向がある。特に意味も考えず、そういうものだと思って従ってきた。それに従えない人たちは「悪」だと思って… 続きを読む »
洗礼を受けてから、自分の中で価値観が少しずつ変わっていっているような感じがする。クリスチャンになったからと言って、普段は表立って何かが変わった自覚は特にないのだが、物事を深く考えようとするときに、以前とは少し違うような… 続きを読む »
昔から何か一つのことに真っすぐに向かい合っている姿に憧れる。それ以外のことは見向きもせずに、一心に突き詰めようとする。私が若い頃は、誰かが夢中になって何かを極めようとしていたなら、それがどんなジャンルのことであっても認… 続きを読む »
「神さまはいると思いますか?」というやり取りがされるのが一般的だと思う。いや、日本ではキリスト教の神さまのことなんて誰も気にもしておらず、だから話題にすら上ってこないことが普通だろうか。 私が毎週通っている教会をはじめ… 続きを読む »
「神さまのために生きる」という生き方を考える時、私にはどうしてもしっくりこない部分がある。クリスチャンとして、本来ならばそこに引っかかってはマズいのだろうか。やはり神さまがお喜びになるように生きなければならないのだろう… 続きを読む »
誰もが誰かを信じたいのではないだろうか。友人や家族を信じたり、或いは自分自身を信じたりして生きていこうとする。その過程で信じていた人に失望したり裏切られたりして、道を失うことがある。「誰も信じられない!」とはドラマや映… 続きを読む »
私はサービス精神が旺盛で、人が喜ぶことをして差し上げたくなる質だ。状況を見て、これをしてあげたら喜ぶだろうなと推測し、先回りして手配したり準備したりする。それほど大層なことはしないが、ちょっと気の利いたような心遣いは、… 続きを読む »