「喜び」≠「欲求充足」[Pleasure ≠ Gratification.]
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一5章16-18節)。これは私が高校の時によ… 続きを読む »
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一5章16-18節)。これは私が高校の時によ… 続きを読む »
ある事にトライしてみたくなってきた。是非チャレンジしてみたい。しかし今まで私は、自分の意思に従って行動した時に、失敗ばかりを重ねてきた。それを思い出して躊躇している。できることならこの件に関しては失敗したくない。やって… 続きを読む »
自分を追いつめないで生きていこうかなと思う。私は、性格が真面目なのは良いのだが、ときどき度を越えて、真面目過ぎてしまうところがある。理性的な私が“これでもか!”と言わんばかりに怠惰な私を責め立てる。そういう融通が利かな… 続きを読む »
私の場合、他人のために何かをしてあげようとか、喜んでもらおうとか、そういうことは考えなくて良いのだと思う。誰かの役に立ちたいと思うのは山々だが、どうも私はサービス精神が旺盛すぎるというか、過剰にやろうとし過ぎてしまうと… 続きを読む »
いつもなるべく穏やかな気持ちをキープしていたいし、必要に応じて精神をスッと集中できるような状態にしておきたい。でもやっぱり生きていればいろいろあって、自分の行いの結果だけではなく他人の影響も受けるし、いつも落ち着いた平… 続きを読む »
去年のクリスマスに洗礼を受けた。しかしだからと言って、その瞬間から私が立派な人間になれるわけではない。そして、立派にならなければならない訳でもない。「立派な人間」とは何か、という問題は今日は考えないことにして、クリスチ… 続きを読む »
知らないうちに他人を傷つけてしまっている、ということがある。誓って悪気はないのだけれど、私の言葉や行動が結果的に配慮のないものになってしまっているようで、関係する人たちの気分を害してしまう。時にはそれがきっかけでそれま… 続きを読む »
キリスト教の教会へまた通い始めたことが大きいのだが、コロナ禍が終わったせいも助けて、人との交流の機会が増えてきた。家に一人で籠っていないで積極的に人と接しようと心がけていると、不思議とお誘いが増えてくる。本当にありがた… 続きを読む »
以前にテレビか何かで聞いた話なのだが、人間は悲しい出来事をドンドン忘れていく生き物なのだそうだ。もちろん意図的に特定の記憶を呼び覚まそうとすれば、思い出すことはできるが、普通に生活する意識上からは消されていくとのこと。… 続きを読む »
生きているということは変化し続けていること。同じ瞬間は二度とやってこない。同じような経験をしたとしても、経験する自分が変わっているのだから、全く同じ経験ではない。だから「これはもうすでに経験している」などと、知ったつも… 続きを読む »